パスワードを忘れた? アカウント作成
417762 journal

Pravdaの日記: 科学と科学哲学

日記 by Pravda

お正月の移動で電車に乗っている間、『日経サイエンス 2009年2月号』を読んでいたのですが、「茂木健一郎と愉しむ科学のクオリア33 科学と疑似科学のあいだ」という記事が俗な意味でも面白うございました。脳科学者の茂木健一郎氏と科学哲学者の伊勢田哲治氏が対談しているのですけど、茂木先生、イジメられています。

「科学者のメッセージの重要性」という章で、伊勢田氏が、男女の脳の解剖学所見や機能の差の話から恋愛戦略の性差を考えるバラエティー番組に茂木氏が出演したことを取り上げ、「きちんとした解剖学データがあっても、それが本当に男女の恋愛戦略の差に関係しているかどうかは推測に過ぎない」と言い、それを受けて茂木氏は「データはあるが、解剖学の差も機能の差も統計学的な処理によるもので、すべての人には当てはまらない」と答えています。その続きを引用。

伊勢田 すべての人に当てはまらないというだけでなく,実際的なアドバイスに使おうと思うなら,その結果が何を意味するかの解釈にももっと慎重になる必要があります。番組では一気にハウツーにもっていってしまったわけですが。
茂木 確かに科学的とはいえない。ただ,科学論文は一般の人にとっては無味乾燥なものです。しかも,人間はすべて科学的根拠で生きているわけではない。どう生きようかと考えているときに,ヒントとなるアイデアを提供できたらいい。いわば,ここから先は生命哲学の問題だと考えています。
伊勢田 だとしたら,メディアで発言するときは,ここまでが科学で,ここからが生命哲学だと区別する必要があるのではないですか(笑)。
茂木 その点,かなり慎重に話しているつもりですが,テレビ番組の場合,収録した内容全部が放送されるわけではありません。自分で,全体の論旨をコントロールできないという問題がありますね。
伊勢田 それは理解できますが,そのような場合は出演しないという選択肢もあるのではないですか。
〔p.113〕

もちろんこの話がメインではなく、科学哲学および、科学と疑似科学の違いについての対談です。以下引用。

伊勢田 科学哲学とは広くいえば,哲学の道具とか考え方を使って,科学について考えようとするものです。科学で使われている概念や,科学の背景にある世界観を分析したりと,いろいろな研究分野がありますが,今日は,科学的であることとそうでないことの境界がどこにあるのか,つまり私たちが「境界設定問題」または「線引き問題」と呼んでいる問題について紹介したいと思います。
〔p.108〕

「現在の科学の定義は物理学が規範になっているが、脳科学などの分野では、もっと違う定義が必要ではないか」という発言のかたわら、「最終的には、いちばん大きな枠組みとして、いわゆる倫理的な価値判断が必要になる」と、倫理の上に科学哲学や科学があることを明確に述べており、伊勢田先生という方、たいへん質実な研究者という印象を受けました。

この議論は賞味期限が切れたので、アーカイブ化されています。 新たにコメントを付けることはできません。
typodupeerror

あと、僕は馬鹿なことをするのは嫌いですよ (わざとやるとき以外は)。-- Larry Wall

読み込み中...