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日記

Torisugariの日記: 123年間の歴史で初めての監督解任と2024年の大河ドラマ

日記 by Torisugari

先月、つまり2023年9月に日本代表対ドイツ代表のサッカーの親善試合があって、4対1で日本代表が勝ちました。その直後、ドイツ代表チームの監督であるハンジ・フリック氏は解任されてしまいました。この両者の因果関係は必ずしも明白ではありあませんが、数日後にフランス代表との親善試合が予定されていたのにもかかわらず、ドイツ代表は急に監督を交代させてしまったわけですから、まあ、負けたからクビになったと捉えて良いでしょう。

とはいえ、メディア報道では、日本戦の前からハンジ・フリック氏は近々代表監督を外されるのではないかという憶測が飛び交っていました。2022年のワールドカップを含めて、直近の十数試合の成績があまり良くなくて、人気も低迷しつつあったからです。

一方で、解任されるはずがないという意見もありました。彼はドイツ代表監督の前にバイエルン・ミュンヘンというサッカークラブの監督を務めていたのですが、その時にリーグ優勝・協会カップ優勝・大陸カップ優勝の3冠を獲得して、特に大陸カップ(欧州チャンピオンズリーグ)は史上初の全勝優勝でした。ドイツのサッカー協会は、方々に無理を言って、そんな歴史に名を残すような優秀な監督を2年前に引き抜いたのです。しかも、当初は歴代タイの就任後連続無敗記録をマークして協会の期待に応えていました。だから、ちょっとやそっとの不調くらいでは続投だろう、という観測です。

この説をさらに補強する意見として、ドイツのサッカー協会はこれまで一度も監督を解任したことがない、というデータがありました。つまり、監督交代には任期満了か監督自身が申し出て辞任するかしかありません。そして、ハンジ・フリック氏は日本戦の前にも後にも辞任の意志はないとインタビューで答えています。

ドイツの協会と監督がどのような契約を結んでいるのか、詳しくはわかりませんが、一般論で言うと、クラブや協会はいつでも監督を解任できる代わりに、監督は次の監督の仕事が見つかるまで任期中は(出来高給などを除く)給料を受け取り続けることができる、という形になることが多いです。つまり、元監督が次職を見つけるまで、協会は元監督と新監督に二重払いを続けることになります。協会は二重払いを避けたいので、同じ辞めさせるなら解任(会社都合退職)するより辞任(自己都合退職)して欲しいわけですが、ハンジ・フリック氏側としては前述の経緯があるので、手ぶらでは戻れないという思いがあるはずです。任期はあと一年以上あって、任期中に欧州選手権という大舞台もあるので、彼の意志が変わらなければ、監督も代わらないだろうと思われていたのです。

しかし、冒頭にも述べた通り、ハンジ・フリック氏は解任されました。だから、メディア各社は驚きと納得を交えてそれを伝え、「ドイツサッカー協会の123年間の歴史で初めて解任された監督」という表現になったのです。

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でも、それって本当のことでしょうか?かつて、ゲイリー・リネカー氏が1990年のワールドカップで

Football is a simple game. Twenty-two men chase a ball for 90 minutes and at the end, the Germans always win.

サッカーはシンプルな競技だ。22人が90分間ボールを追いかけ、最後は常にドイツが勝つ。

という言葉を残したくらい、国際サッカーの舞台において、ドイツはかなりの強豪国です。だから、監督は常に勇退してきたから解任なんてないんだ、と言われたら素直に納得してしまいそうです。

しかし、ちょっと調べれば分かりますが、1998年に就任したエーリッヒ・リベック氏は10勝6分8敗という成績で2年後に交代しています。これはハンジ・フリック氏の12勝7分6敗より下の成績ですから、今回と同じようなことが23年前にもあったということです。違いはエーリッヒ・リベック氏は解任されたのではなく辞任したのです。辞任は解任よりも不利な退職ですから、それを呑んだのには相応の事情があったでしょう。

とにかく、強豪といえど監督成績の浮き沈みは確かにあったのです。結果として解任がなかったのは、伝統に鑑みて、解任自体を避けるある種の努力がなされたからだと思います。実際のところ、解任が発表される直前は、ネット上でリベック氏の名前を何度か目にしましたし、続投説の根拠にもなっていました。今こうやって比べたくなる2人ですから、案外、23年前も100年間だれも解任されていない、というようなことが取り沙汰されていたかもしれませんね。

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さて、123年というのは途方もない数字です。前節では「強豪」と「伝統」をキーワードにして「解任」がなかったカラクリを考えてみましたが、では123年間、サッカーのドイツ代表は常に伝統ある強豪国として存在し続けていたから解任がなかったのでしょうか?

今から123年前、1900年のドイツは帝政時代です。ということは、その後、第一次世界大戦と第二次世界大戦の当事者となって、領土が増えたり減ったり分割されたり統合したりして、それでいて、今イメージするような伝統ある強豪国だから解任が一度もなかった、というのはやはりおかしなことのように思えます。少なくとも新興国であったり弱小国であったことはあったはずですから。出来たてで弱いころの監督はなぜ解任されなかったのでしょうか?

ドイツ代表の初代監督はオットー・ネルツという人で、1926年に監督に就任しました。1923年としている場合もありますが、いずれにしろ、1900年から数えて20年以上監督がいませんでした。これが先ほどの問いの一つの答えになると思いますけれど、要するに、弱かったころは解任すべき監督もまたいなかった、というトリックです。選手と同じように監督も試合ごとに召集されていた時代があって、そういった招集監督たちの中から最初に専任の監督となったのがオットー・ネルツです。

そして、彼のWikipediaの記事をみると、衝撃的なことが書いてあります。

しかし本大会では準々決勝でノルウェーに0-2で敗れると責任を問われ、大会終了後に監督を解任された。

https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E3%82%AA%E3%83%83%E3%83%88%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%8D%E3%83%AB%E3%83%84&oldid=82326474

初代監督のオットー・ネルツは解任された、と書いてあるのです。つまり、この記事が正しければ、123年間で初めて解任されたという文言が虚偽だったことになってしまいます。日本語版の記事の元になった英語版の記事には次のように書いてあります。

However, Germany was eliminated early in the tournament after a shock defeat to rank outsiders Norway. Shortly thereafter, Nerz was relieved of his duties as coach and replaced by Sepp Herberger.

https://en.wikipedia.org/w/index.php?title=Otto_Nerz&oldid=293211527

よしんば日本語版が幾分か誤りを含んでいて英語版が正しかったとしても、"be relieved of one's duties as coach and replaced"は「解任」ではないのでしょうか?気になってドイツ語版を見てみると、もっと詳しい事情が書いてありました。

Auch in sportlicher Hinsicht konnte sich Nerz mit den Nationalsozialisten arrangieren, da diese die Fußballnationalmannschaft gern als Propagandainstrument nutzen wollten. Er unterstand nun dem Fachamt Fußball, das mit fußballerischen die Überlegenheit der deutschen Rasse zu demonstrieren dachte. Diese Hoffnung konnte Nerz bereits bei der Weltmeisterschaft 1934 teilweise erfüllen – mit Platz 3 (3:2 über Österreich) erreichte die Nationalmannschaft ihren bis dahin größten Erfolg. Zur Vorbereitung auf das Fußballturnier der Olympischen Spiele 1936 in Berlin setzte das Fachamt 1935 die Rekordzahl von 17 Länderspielen an. Davon wurden 13 gewonnen, lediglich die Begegnungen mit Spanien (1:2), Schweden (1:3) und England (0:3) gingen verloren, die Partie gegen Norwegen endete unentschieden (1:1). Damit ging die deutsche Nationalmannschaft als einer der Favoriten in das olympische Turnier. Nach einem leichten 9:0-Sieg über Luxemburg war Norwegen der nächste Gegner im K.-o.-System. Mit Blick auf die nachfolgenden schwereren Aufgaben erhielt Nerz vom Fachamts-Leiter Felix Linnemann die Anweisung, die Leistungsträger der Mannschaft zu schonen. Daraufhin ließ Nerz eine Mannschaft mit zahlreichen Reservespielern auflaufen. Unter den Augen des an sich am Fußball nicht interessierten Adolf Hitler unterlag Deutschland mit 0:2. Diese Niederlage, mit der Deutschland aus dem Turnier ausschied, wurde zum Politikum, Nerz wurde vom Fachamt zwangsbeurlaubt, und sein Assistent Sepp Herberger übernahm beim nächsten Länderspiel am 13. September 1936 gegen Polen die Aufgaben des Reichstrainers. Am 27. September 1936 im Spiel gegen die Tschechoslowakei in Prag saß Nerz aber wieder auf der Bank, und Herberger verantwortete das am selben Tag stattfindende Spiel gegen Luxemburg, in dem vier Spieler ihr Länderspieldebüt gaben und weniger Stammspieler als gegen die Tschechoslowakei im Einsatz waren.

Am 2. November 1936 wurde schließlich Herberger zum Reichstrainer und Nerz zum „Referent für die Nationalmannschaft“ ernannt. So arbeitete Nerz mit Herberger nicht nur zusammen, sondern blieb dessen Vorgesetzter noch bis unmittelbar vor der Weltmeisterschaft 1938. In der Fachpresse zuletzt als „Chef der deutschen Nationalmannschaft“ bezeichnet und gewürdigt, übte Nerz das Amt bis Mai 1938 aus. Kurz zuvor hatte er eine Professur an der Deutschen Hochschule für Leibeskultur übernommen und wurde deren Direktor. Er veröffentlichte mehrere sportwissenschaftliche Publikationen.

Nach dem Ende des Zweiten Weltkrieges wurde Nerz im Juli 1945 von der Roten Armee verhaftet und in das Speziallager Nr. 3 Berlin-Hohenschönhausen verbracht. Von dort aus wurde er am 16. Oktober 1946 ins Speziallager Nr. 7 nach Sachsenhausen weitertransportiert, wo er am 19. April 1949 an einer Meningitis starb.

https://de.wikipedia.org/wiki/Otto_Nerz

オットー・ネルツは、1934年のワールドカップで弱小国だったドイツを率いて強豪のオーストリアを破り、3位に導きました。1936年のベルリンオリンピックを迎えるにあたって、この成果は時の政権をとっていたナチス党を多いに喜ばせ、国威発揚のためさらなる好成績を得るべく、1年間で17試合もの強化試合が組まれ、ネルツ率いるドイツ代表は13勝1分3敗という好成績を叩きだしました。しかし、オリンピック本番では、1回戦のルクセンブルク戦こそ9対0で大勝したものの、次のノルウェー戦は3回戦以降の疲労蓄積を考慮して選手を入れ替えるように協会側から言われてそれに素直に従った結果、観戦するヒトラーの眼前で0対2というスコアで敗北、2回戦敗退となってしまいました。

日本語版や英語版のウィキペディアでは、ここでネルツが解任されたことになっていますが、実際にはより複雑なことになっています。

オリンピックでの敗戦は政治問題となったので、ネルツはチームを離れ、部下のゼップ・ヘルベルガーが次の9月13日のポーランド戦での指揮を執りました。ところがその次の親善試合はルクセンブルク戦とチェコ戦が同じ日に別の場所で組まれ、ヘルベルガーが指揮するルクセンブルク戦はレギュラーが主体となって、ネルツが指揮するチェコ戦は初招集を含む控え選手が主体となって選手が割り当てられる、変則的な監督両立体制となっていました。

その試合でネルツが代表チームへと復帰したあと、協会は„Referent für die Nationalmannschaft“(国家代表代表)、通称„Chef der deutschen Nationalmannschaft“ (ドイツ国家代表主席)という役職を新設し、ネルツをそこへ「昇進」させて、ヘルベルガーを代表監督へと昇進させることで、上下関係を維持したままヘルベルガーを代表監督にしてしまったのです。

ネルツはこの職を1938年のワールドカップ直前まで続け、体育大学の教授へと転職しました。

これは、中宮遵子状態から皇后遵子・中宮定子状態へと移行し、中宮定子状態から皇后定子・中宮彰子状態へと移行したのと似ています。離婚が成立していないという立場に立てばネルツは解任されていない、と言えるでしょうし、もし定子に男児が生まれていても継承権がなかったろう(個人の感想です)から、事実上の廃后だと解すれば、ネルツは表舞台でA代表を指揮できない以上、第三者からは事実上の解任に見えるとも言えるわけです。

これは私の想像ですけれど、そもそも1934年のワールドカップに3位になったというネルツの実績が、このややこしい状態を生んだのではないかと思います。もちろん、ベルリンオリンピックでの敗退は万難を排してでも避けるべきでしたが、それは結果論であって、どこかの段階でリスクを負うのは勝負事では避けられないことです。それはそれとして、協会やヘルベルガーの立場で考えると、1938年のワールドカップは前任者以上の結果が求められます。あれは実力以上のものが出たたまたまの勝利だったとは言えません。この時点では知る由もないかもしれませんが、1938年のワールドカップはアンシュルス後なので、格上のオーストリア代表を吸収合併したドリームチームで出場するのですから、なおさら好成績が求められます。ネルツは結果を出した後だから、あれくらいで済んでるわけで、政治的に失点が付いたとはいえ手腕は確かなものがある、くらいの評価と思います。

そういう諸々を考えて、各々が嫌なことを我慢しながら、誰の面子も傷つけないようにした答えが、厳密に言うと解任はしないが実質的に解任する、だったのではないでしょうか。前言を翻すようですけれど、強豪国ではないから却って監督を解任できなかったという場合もあるのです。

監督を解任しない伝統というのは、なるほど立派なもので学ぶべきところも多々あると評価できますけれど、別の視点から考えると、伝統という名で呼ばれてはいるものの、実態は戦時中から続く呪縛のような何かがあって、ドイツ人たちはハンジ・フリック氏を解任することで、それから解き放たれたとも言えます。

なにしろ、協会にとって解任は損ですけれど、経済的には至極健全ですからね。

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日記

Torisugariの日記: ロシア国防省の418 3

日記 by Torisugari

ITmediaが報じていますけれど、昨日から

ロシア国防省のウェブサイト
https://mil.ru/

がHTTPのステータスコードで418を返すようになっています。

ロシア国防省の公式Webサイトで接続障害 エラー名は「私はティーポット」?
https://www.itmedia.co.jp/news/articles/2202/24/news179.html

国際情勢のこともあって、まともな媒体の記事では迂闊なことが書けないと思います。ですから、あえて不確かな私見を述べますけれど、この「接続障害」はDDoSのような攻撃を受けた結果ではなくサーバーの管理者が意図的にやっていることで、その意思表示として418を返している、ということのようです。

https://twitter.com/vxunderground/status/1496892663697936384
によると、全世界で一斉にアクセスできなくなったわけではなく、まず北米・南米・東南アジア・香港・韓国のようなところから始まって、その後、日本・中国・EUも418圏の仲間入りを果たしました。

https://www.host-tracker.com/ic/3/95c4c6ff-a10b-4d83-8a7e-5ea8e9db13cb
によれば、19時現在ではロシア・ウズベキスタン・カザフスタンからは200で、他の地域は418になる、という状況のようです。

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HTTP(?)のステータスコードとしての418は保護運動のようなものもありましたし、各々が418に抱く印象は様々でしょうけれども、いずれにせよ、今まではユーモアやバグでしか話題にならない存在でした。

一応、Mozillaの解説では

Some websites use this response for requests they do not wish to handle, such as automated queries.

https://developer.mozilla.org/en-US/docs/Web/HTTP/Status/418
と触れられているので、実際にHTTPで使っている人たちもいたようですが、503や404ではなく敢えて418を返す、ということは、要するに、ゴミを投げつけられた時に「攻撃されてる!」と叫びながら投げ返すためのゴミということになろうかと思います。

これを念頭に置いて、418が私のブラウザに返されてきたことを考えると、何か残念な気持ちになってしまいます。

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日記

Torisugariの日記: 法律と条件分岐 4

日記 by Torisugari

先日、運転免許の更新に免許センターを訪れた際、講習の開始までに時間があったので、配布された冊子を読んでいると、奇妙な記述を見つけました。交通安全協会のウェブサイトにもほぼ同じ内容が書かれているので、引用します。

令和2年12月10日までに施行

準中型免許を受けて1年に達しない者は、準中型自動車のほか普通自動車を運転するときも初心運転者標識(初心者マーク)を表示することとされました。

http://www.jtsa.or.jp/new/koutsuhou-kaisei.html

この記事を数年後に読んでいる人はおそらく内容が変わっているので、ウェブアーカイブへのリンクも置いておきます。
https://web.archive.org/web/20201019153503/http://www.jtsa.or.jp/new/koutsuhou-kaisei.html

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この規定見直し、意味が分からない単語はひとつもないんですが、1度読んだくらいでは頭にすっと入ってこないんですよね。しかも、これ以外に脈絡がなくいきなり出てくるので、なぜ今更こんなことを言い出すのかが理解しがたいのです。そして、講習はこの部分を全く解説せずに終わってしまいました。まあ、私は(おそらく他の参加者も)初心者マークの対象者でなければ準中型免許も取得していないので、当然といえばそうかもしれませんが、とにかく気になったのです。

ちなみに、おそらく正しい解釈は、次のようになります。まず、普通免許を取った人は1年間は普通自動車に初心者マークを付けなければいけません。そして、普通免許を飛ばしていきなり準中型免許を取った人はやはり1年間は準中型自動車に初心者マークを付けなければいけません。しかしながら、2020年の10月末日現在では、準中型免許を取った人は初心者マークなしで普通自動車を運転できてしまうのです。そして12月10日までに、初心者マークは必要になる、ということなのでしょう。

私は法曹の類の資格は一切持っていないので、私の解釈を鵜呑みして情報拡散されても困りますけれど、『道路交通法』「第71条の五の1」と「第71条の五の2」のdiffを見る限りでは、そうとしか思えません。

  1. 準中型免許が新設された2017年の道路交通法改正時の「新旧対照表」
  2. 2019年の道路交通法改正の「新旧対照表」

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どうしてこのような法改正をするのか、確信はもてませんけれど、端的に言ってしまえば、これってミスだから慌てて直したんでしょうね。担当者が最初に気付いた時の心情は察して余りあるものがあります。ひょっとしたら誰かに怒られたかもしれません。

実害はほとんどありませんし、違反(?)する人もまずいないでしょうから、放置しておいても良さそうなものだったのに、わざわざ訂正して法を真っ当なものに近づけようとする姿勢は素晴らしいと思います。さはさりながら、さらっと見逃してしまうには惜しいような、なにか示唆的なものを幾分か含んでいるようにも思われます。法律を書いている官僚のチームですら、もう何を書いてるのかよく把握できていないから生まれたミスでしょうし、推進する人も、委員会で審議する人も、議会で採決する人も、誰一人気付かなかったから成立してしまったのでしょう。「コーダとレビュアは互いを親の敵と思え」という格言がありますが、あれほどいがみ合っていて見つからないのですから、この複雑性は生半可なものではありません。確かに取り返しのつくミスで、恥に思う必要はありませんけれど、直したことによって法文はよりスパゲッティになっているのですから、後世へのツケを増やす方向で進んでしまったな、という感じもします。

頑張ればできることの大半は頑張らないとできないことです。この手のミスを既存の方法で減らすには相当頑張らないといけません。私にはその頑張りが無駄に思えるんですよね。ベン図をきちんと書けばシステマティックに同じ法案を生成できるようになる、といったような、数学的・論理学的・工業的な意味で法律作成技術が進化しなければ、結局はこの無駄に延々と人的資源を投入することになってしまいます。どうせ行革するのなら、ここをやってもらえないでしょうかね。

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余談ですけれど、

のような書き方もどうかと思います。数式にすると

r = 2 * (24 - v) / (24 - 10) (ただし10≦v≦24)

r = 3 * (24 - v) / (24 - 10) (ただし10≦v≦24)

ですから、結果が同じでも「(v - 10)」や「14/3で割る」という計算をさせるのはいかがなものかと。少なくとも前半を無理にコピペしようとしなければ「14/3で割る」というバカみたいな表現は避けられたのに。

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日記

Torisugariの日記: オーバーシュートの言い換え案 11

日記 by Torisugari

「オーバーシュート」がカタカナ語であることが物議を醸しているので、言い換えをいくつか考えてみましたが、結論から言うと「(感染)沸騰」がいいんじゃないでしょうか。

「オーバーシュート(overshoot)」という言葉は"over"と"shoot"の合成語ですが、この"shoot"は射撃のことで、射的をするときに、的や獲物よりも上を撃って「弾が遠くに飛びすぎた」というのが原義のようです。そこから転じて「通り過ぎる、はみ出る」という意味が第一義となり、例えばwiktionaryでは例として「駐車スペースから車がはみ出る(overshoot the parking space)」という用例を挙げています。

一方、感染にオーバーシュートという言葉を使い始めた人たちは、これが金融用語から転じたものだと言っていますから、そちらも考えてみましょう。「オーバーシュート|証券用語解説集|野村證券」によると、「価格の行き過ぎた変動」で「短期的に実体からかけ離れた価格になる」とあります。ものごとには勢いというものがありますから、心理的な要因や並列的な機械的判断の都合上、「行き過ぎ」がおこってしまうのです。

しかしながら、感染の進行が「実体」より過大になることはちょっと考えられません。値段という「現実」があるべき値である「実体」とズレるのは、幾分と誤魔化しを含んでいるとはいえ、まだ納得の余地があります。でも、実際の感染者数という「現実」が本来感染すべき「実体」とズレているなら、信用ならないのは「実体」であって「現実」ではありません。値段はいつか「実体」に近づくことはあっても、感染者数が「実体」に近づくことはあり得ないのですから。そして短期的でもないでしょう。

金融のオーバーシュートをもう少し別の角度から考えてみましょう。ものの値段が「実体」に沿って推移するとき、上がるにしろ、下がるにしろ、想定の範囲内で相場が形成されます。しかし、売買に関わる人が多すぎると、相場形成がかえって「実体」から離れてしまう、言い換えると、上がり下がりの法則が「売り上げ」や「事業規模」のような変数とは連動しなくなってしまいます。このように面倒過ぎて理由付けを諦める状況をオーバーシュートというならば、やっと感染者の話と類比できるようになります。このような状況では「実体」よりもむしろ売買する人数の方が変数として大きくなりますから、「実体」から予想しようとすると非線形な振る舞いになってしまいます。値動きするからこそ売買参加者が増えて値段をつけるルールが変わってしまうのです。多項式の科学から微分方程式の科学になって、カオスが幅を利かす世界になってしまうわけですね。

このように、ある変数に対して線形な結果だと思い込まれていたものが急に非線形になるのは自然界ではそれほど珍しいわけでもなくて、相転移が絡めば日常茶飯事です。そう思いながら、感染者の増減を考えてみると、水の気化によく似ていることが分かります。

いま、液体の水を非感染者、気体の水を感染者として考えると、室温に近い状態で容器に入れた水を温めたときの気化は、主に液体と気体の境目、つまり水面からの蒸発によっておこるので、気化を抑えるには水面の面積を小さくするのが最も効果的です。同じ体積の器具でも、ビーカーと丸底フラスコではフラスコの方が蒸発が遅いのです。感染症対策で考えると、外部との接触を断つ水際対策になぞらえることができます。

一方、温度が上がってお湯がグラグラになるまで沸いてしまった場合、温度や圧力の不均一さ、ゆらぎによって、液体の内部に小さな気泡ができて、そこが新たな水面になってしまいます。感染症対策で考えると、これがいわゆるクラスタと呼ばれるもので、日本の現状でもあります。

最後に、お湯がボコボコになるまで沸いてしまうと、もう液体内のあらゆる箇所に気体が混じっています。水の蒸気圧が大気圧をオーバーシュートしてしまうと、どこが気体でどこが液体なのかを場所から予測することは出来なくなるのです。だから私はあえて新しい名前を付ける必要があるのなら「感染沸騰」と呼ぶべきだと思うのです。Wikipediaの「沸騰」によれば、唐ができる時に、民衆の間で不満が高まって、ついに内乱が各地でおきることを「天下沸騰」と言っているらしいので、この程度の暗喩は許されるでしょう。

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ところで、感染症は罹患した人がさらに罹患した人を増やすという、連鎖反応による拡大再生産的な要素を持っていますが、「沸騰」という語義にはそれを示唆する要素が込められていません。一般的に言って、水を火にかけるから沸くのであって、水を火にくべて燃えるわけではないのです。

しかし、この状況を的確に表現する漢字表現がないのか、といえばそんなことはなくて、例えば、核分裂した原子核の破片がさらに別の原子核に当たって核分裂を促し、その破片がさらに別の原子核へ……という状況と同じであり、「臨界状態」と呼ばれるものです。オーバーシュートの原義を尊重すれば、「臨界超過」や「臨界突破」とでも言うべきでしょうか。

自治体が「基本再生産数」という専門用語をよく使うのも、実際のところ連鎖反応でネズミ算になるとどうしようもなくなってしまうからだと思います。「オーバーシュート」は何が何からはみ出るのか、という点を冷静に考えると、再生産数が何らかの閾値を越えてしまうということなのでしょう。モデルとしては、臨界量を越えて集めるだけで勝手に連鎖反応が制御不能なレベルまで進むのと似ています。でも、迂闊にそんなことを言い出したらそれこそ世間が制御不能になってしまいそうですから、私は思いつかなかったことにしておきます。

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日記

Torisugariの日記: 了解と諒解と瞭解 7

日記 by Torisugari

私がこのことを考えるきっかけになったのは、間違いなく3月13日放送の「この差って何ですか?」の「『了解しました』と『承知しました』の差」なので、そのことについて書いた方が分かりやすいとは思うのですが、10日も前のことですし、Twitterでは放送直後から多数のツッコミが入っているので、Togetterの紹介にとどめておきます。

「了解しました」は目上の人に使うと失礼で「承知しました」というべき!? #この差って何ですか - Togetter

まあ、私は目上がどうとか、そういう論点はあまり興味がないのですが正確にいうと、「了解」はもともと「分かっている状態」を意味する文語ですから、「了解する」という言葉に違和感があるのは口語の動詞として濫用されているように感じるからで、たとえば「了解を得る」のように名詞として使えば自然だと思っています。「承知する」も同じですけれど。、見過ごせないのはこのくだりです。

「了=終わらせる」、「解=理解するとなり」、「了解しました」には話を理解して終わらせるという意味がある。

他の部分はともかく、ここだけは明確にウソでしょう。この理屈を認めると、そのまま「障碍者・障害者」論争が再燃してしまう危険思想です。我々は平易な漢字の範囲内だけ熟語を使うために、「燈火」を「灯火」と書き換えるようになっていきました。これは当用漢字の制定がきっかけ、というわけではなく、もっと長い歴史の間におこったことです。この時に重視したのは漢字の意味ではなく発音なのですから、当て字の意味から熟語の意味を変更することが横行すれば、それはすなわち、過去に書かれたものを全て曲解することになります。

「了解」が「諒解」の当て字、というのは言い過ぎかもしれませんが、1956年の「同音の漢字による書きかえ」という通達以降、「諒解」と書こうとする場合は「了解」に改めた方が良いことになっており、活字メディアはこのルールをかなり厳格に守って校正しています。「諒解」には「終わらせる」という意味は微塵もありません。

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というようなことを思いながらWiktionaryの「了」の項目を見ると、「瞭」の新字だと書いてあります。つまり、「了解」を旧字で書けば「諒解」ではなく「瞭解」になり、実際、台湾では法律関係の堅い文書でも「瞭解」と書かれているようです。中国では公文書でも「了解」と「谅解」を使い分けているようですが、「了」と「谅」が別字であるのは「了」が「瞭」の新字である説明と符合するようにも思えます。発音も諒(liàng)と瞭・了(liǎo)ですからね。

日本の場合、「諒解・諒承」は「了解・了承」と書く方がいいことになっていますが、それはあくまで熟語の話であって、「諒」と「了」は一対一対応するような存在ではないのかとも思います。「瞭解・瞭承」は日本人としてはヘンテコに思えますが、細かい漢字の意味を考えると別に間違っているわけではないし、「瞭」は2010年から常用漢字に入っているので、なかなか面白い立ち位置の熟語になるなと思いました。仏教用語で同音同義語の「領解(または『りょうげ』)」は消えてしまいましたが、同種の匂いがします。

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番組で挙げられたもう一組の同音同義語「十分と充分の差」は、精神的な方が「充分」という結論でしたが、こっちもツッコミがあったと取り上げられていますね。

「満たされたものが物理的なら『十分』気持ちなら『充分』と使い分ける」テレビで紹介されたコレに対して「嘘」「そんな使い分けはない」とツッコミ多数 - Togetter
https://togetter.com/li/1208630

  「充分」と「十分」はどう使い分ける? テレビ番組での説明に「待った」 : J-CASTトレンド
https://www.j-cast.com/trend/2018/03/19323968.html?p=all

「充電」や「六方最密充填」という単語が思い浮かべば簡単に騙されることはない、とはいえ、根拠がないことを決めつけるのが流行るのは困りますね。こういうことを自覚的にやっていると、「虚偽内容を断定的に話すオレオレ詐欺が流行る遠因になってる」って決め付けられたとき、その「俗説」をどうやって振り払うつもりでしょうか?

ですが、『誤用』や『俗説』と言われるものは、<なぜ支持されたのか>ということのほうが大事です

明確に支持される理由がある場合は納得するかもしれませんが、大抵の俗説は下らない理由ですからね。万歳三唱令とか、スマイリーキクチ事件とか、水からの伝言とか。ってWikipediaを見ると、年末から先月にかけて万歳三唱令に新展開があったんですね。

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日記

Torisugariの日記: 3700年前の石板と有理三角法のアルゴリズム

日記 by Torisugari

最初に言葉の注意を入れておきますと、「有理三角法」はRational Trigonometryの邦訳が(マニアックすぎて)Web検索では見つからないので、勝手に私がそう呼んでいるだけのものです。ただ、内容的にもこのrationalは「無理数を使わない」という意味ですし、三角法は他に言いようもないので、これで妥当な(バズワードの)訳語だということで納得していただきたいと思います。

事の発端は、今月の24日に発表されたダニエル・マンスフィールドとノーマン・ワイルドバーガーの論文
Plimpton 322 is Babylonian exact sexagesimal trigonometry (「プリンプトン322はバビロニアの厳密な60進法の三角法」)
http://www.sciencedirect.com/science/article/pii/S0315086017300691
なのですが、これには多くのメディアが反応しました。英高級4紙は制覇です。ftは買収されたから……

http://www.independent.co.uk/news/science/babylonians-trigonometry-develop-more-advanced-modern-mathematics-3700-years-ago-ancient-a7910936.html
https://www.theguardian.com/science/2017/aug/25/lab-notes-ancient-maths-secrets-and-amazing-heavenly-bodies
http://www.telegraph.co.uk/science/2017/08/24/3700-year-old-babylonian-tablet-rewrites-history-maths-could/
https://www.thetimes.co.uk/article/how-babylonians-beat-pythagoras-by-1-000-years-wjlfp6rqm

これらのニュースは大上段に構えているとでも言いましょうか、どの記事も表現が大げさになっています。

It is a fascinating mathematical work that demonstrates undoubted genius. The tablet not only contains the world’s oldest trigonometric table; it is also the only completely accurate trigonometric table, because of the very different Babylonian approach to arithmetic and geometry.

This means it has great relevance for our modern world. Babylonian mathematics may have been out of fashion for more than 3000 years, but it has possible practical applications in surveying, computer graphics and education.

疑いようのない天才がいたことを示す、目を見張るような数学の業績である。この石板は世界最古の三角関数表というだけでなく、世界で唯一の正確な三角関数表でもある。そうであるのは、バビロニアの算術・幾何へのアプローチが全然違っていたからだ。

このことは現代社会にも大きな影響を与えるだろう。バビロニアの数学は3000年以上前に流行からはずれてしまったかもしれないが、学術・コンピュータグラフィックス及び教育の分野で、実用的な応用ができる可能性を秘めている。

専門家のインタビューを直接記事にしているのにしては事実認定に関して曖昧な部分があるようにみえます。察するに、専門家の方に勢いがありすぎて、それに流されてしまった報道ではないでしょうか。

ただ、BBCはニュースを掴んでいるにもかかわらず、ちょっと引いた姿勢なのが面白いです。外国人向けのインタビューしか見つかりませんでした。

http://www.bbc.co.uk/programmes/p05d7qps
http://www.bbc.com/news/magazine-41054074 (実際はインディペンデント紙へのリンク)

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詳しいことは論文を読めばわかりますが、ここでは実際に想定されうる石板の使い方を説明します。まず、プリンプトン322 の石板の内容は以下のようになっています。

01.59:00:15____________|___01:59|___02:49|01
01.56:56:58:14:50:06:15|___56:07|01:20:25|02
01.55:07:41:15:33:45___|01:16:41|01:50:49|03
01.53:10:29:32:52:16___|03:31:49|05:09:01|04
01.48:54:01:40_________|___01:05|___01:37|05
01.47:06:41:40_________|___05:19|___08:01|06
01.43:11:56:28:26:40___|___38:11|___59:01|07
01.41:33:45:14:03:45___|___13:19|___20:49|08
01.38:33:36:36_________|___08:01|___12:49|09
01.35:10:02:28:27:24:26|01:22:41|02:16:01|10
01.33:45_______________|______45|___01:15|11
01.29:21:54:02:15______|___27:59|___48:49|12
01.27:00:03:45_________|___02:41|___04:49|13
01.25:48:51:35:06:40___|___29:31|___53:49|14
01.23:13:46:40_________|______56|___01:46|15

これは60進数なので、10進数(の近似値)に直した上で、石板自体の誤植(?計算ミス)を訂正すると以下のようになります。

1.98340277|  119|  169| 1|
1.94915855| 3367| 4825| 2|
1.91880212| 4601| 6649| 3|
1.88624790|12709|18541| 4|
1.81500771|   65|   97| 5|
1.78519290|  319|  481| 6|
1.71998367| 2291| 3541| 7|
1.69270941|  799| 1249| 8|
1.64266944|  481|  769| 9|
1.58612256| 4961| 8161|10|
1.5625    |   45|   75|11|
1.48941684| 1679| 2929|12|
1.45001736|  161|  289|13|
1.43023882| 1771| 3229|14|
1.38716049|   28|   53|15|

表は2列目と3列目がピタゴラス数であり、このときの直角三角形の長辺、短辺、斜辺の長さをそれぞれa、b、cとすると、2列目はb、3列目はcで、1列目は(c/a)^2になっています。つまり、これは特殊な直角三角形を集めてそれを第一列の数字順にソートしたものです。

辺aに向かい合う角をAとした時、直角三角形ですからsinA = a/cとなります。つまり、(c/a)^2はsinAの逆数を2乗したものに等しくなっています。直角三角形ABCで、角Aが最も小さくなるのはA=B=45度の直角二等辺三角形ですから、sinAの逆数の2乗の最大値は2です。ただ、直角二等辺三角形(1:1:√2)は無理数を含んでいて辺がピタゴラス数になるという条件を満たしていないので、この表の最初が1.98340277という「ほぼ2」の数から始まっているわけです。

ここで、実用的な問題をこの表を使って解くことを考えてみましょう。

例えば、4mのロープを木の頂上に括り付けて、地上まで斜めにピンと張った時、その地点から木までの距離を測ると3mだった場合の木の高さbを求めるとします。

現代的なアプローチだと、三平方の定理から、
b^2 = c^2 - a^2 = 16 - 9 = 7
b = √7 = 2.6457...
で、約2.65mという答えが出ますが、この計算は平方根の近似値計算を含んでしまっています。電卓がない場合でもバイナリサーチに検算していけば、

4 < 7 < 9、25/4 < 7 < 121/16

くらいまでは暗算できますが、何度も計算するとなればなかなか面倒です。 余談ですが、平方根の近似値計算は中学校で習うらしいのですが、ネットで検索すると2.1、2.2、2.3...と探索するしかない、って教えてるところがありますね。高校受験では十分に役立つ解法ってことになるのでしょうが。

一方で、表を使う場合、まず、問題の(c/a)^2を計算してしまいます。
  (c/a)^2 = (4/3)^2 = 16/9 = 1.7777...
そこで、1.7777...という数字を表の第1列と見比べると、6行目の1.78519290と7行目の1.71998367の間に1.7777...があることが分かります。つまり、問題の三角形は、6行目の直角三角形と7行目の直角三角形の間の形をしています。(もうちょっと具体的に言うと、角Bの角度が間にあるということです。)

数学の回答ならcosBの単調減少や中間値の定理を説明しなければいけないかもしれませんが、答えを出すだけなら話は簡単で、第n行目の三角形AnBnCnの三辺をan、bn、cnとするとき、
b7/c7 < b/c < b6/c6
という関係式が成り立つので、
(b7/c7) * c < b < (b6/c6) * c
(2291/3541) * 4 < b < (319/481) * 4
2.587969... < b < 2.6528...
より、木の高さは2.6mくらいという概算値が掛け算と割り算だけで算出できます。

と、ここまででは面白さの半分くらいで、さらに表をよく見ると、例えば、問題に出てきた第6行のピタゴラス数はb=319、c=418ですが、これからaを計算するとa=360と比較的綺麗な数になっています。第7行はb=2291、c=3541なのでa=2700と、圧倒的にキリのいい数です。そして、これは我々現代人からみてもキリのいい数ですが、古代バビロニア人は60進数を使っていたので、感じるキリの良さが我々の比ではありません。つまり、表に出ていないaの値は全て60を素因数分解した{2, 3, 5}の冪乗の積になっています。そのため、aを分母に持つ数は60進数で必ず有限小数になります。第1列の数は(c/a)の2乗なので、まさにaを分母に持つ数であり、だからこそ第1列は近似値ではなく厳密に正しい値として書かれています。

こちらの値を使うと、木の高さは
b7/a7 < b/a < b6/a6
(b7/a7) * a < b < (b6/a6) * a
(2291/2700) * 3 < b < (319/360) * 3
2.545555... < b < 2.6583333...
であり、1/2700と1/360は既知の値なので、掛け算を2回するだけで近似解までたどり着けます。

* 1/360 = (1/6)*(1/60)であり、60進数で1/60は00.01、1/6=10/60=00.10ですから、1/360 = 00.00:10です。同様に、1/2700=(1/3)*(1/15)*(1/60) = (20/60)*(4/60)*(1/60) = 80/(60*60*60)=(01:20)/(60*60*60) = 00.00:01:20となります。これを踏まえると、(2291/2700) * 3 = 6873/2700 = (6873*80)/(60*60*60) = 549840/(60*60*60)=(2*216000+32*3600+44*60)/(60*60*60) = 02.32:44、(319/360) * 3 = (957*10)/(60*60) = (2*3600+39*60+30)/(60*60) = 02.39:30より、 高さ(m)の範囲は02.32:44 < b < 02.39:30と有限小数で書けます。どうも、バビロニア人は1~60までの逆数(または逆数の近似値)を全て少数表記で覚えてまで分数を避けていたフシがあります。

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さて、このくらいの予備知識を得た上で、ニュースの記事を読むと「世界最古の三角関数表というだけでなく、世界で唯一の正確な三角関数表」というキーワードがよく分かると思います。三角関数表であるにもかかわらず、表自体には概算値が全く含まれていないわけですからね。論文のタイトルにある"exact"という単語もこれを指しているのだと思われます。

ただ、問題は、「誰」が「何」を見つけたのかです。この話の数学的な背景に関しては70年以上前に出版されたノイゲバウアーの本で、既にバビロニア人のピタゴラス数の見つけ方まで解説されており、三角関数表の一部としての解釈もバックやジョイスなどの先人が細かく解説しつくしています。少なくとも「三角関数表」という表現の初出が件の論文でないことは確かです。循環小数にならないことを示したのもこの論文が初めてではありません。

三平方の定理 (ピタゴラスの定理) の歴史 - 記述された事実 -- 古代バビロニア
http://asait.world.coocan.jp/pythagorean/section2/pyta_section2.htm

PLIMPTON 322 - David E. Joyce, 1995.
https://mathcs.clarku.edu/~djoyce/mathhist/plimpnote.html

「有理三角法」というのは聞きなれない言葉だと思いますし、私も書き慣れませんが、これは、ワイルドバーガーの提唱する「三角関数を使わずに三角測量したい」という、野心的な、平たく言うとニュー・サイエンティスト系の考えで、私に言わせれば、イデオロギーや宗教と大差ないものです。もちろん、天動説から地動説へと世の主流が変わったように、そういうコペルニクス的存在も重要ではありますが、今のところ、そういった有理三角法の大法則が発見された、というわけではありません。

むしろ、「有理三角法」の人々が「バビロニアの石板」という存在そのものを見つけてしまったのです。確かに、バビロニアの石板は、角度を全く計測せずに表を作ろうとしていますし、無理数をできるだけ避けようという努力も見られます。だから、有理三角法の人々がやりたかったことは、4桁のピタゴラス数をも用いるという、現代人の常識を超えた方法で既に実現されていたのです。それを発見した時の興奮は想像に余りありますが、「有理三角法」というフィルターを取り除いてもう一度考えると、新しく分かったことは特にない、という結論に落ち着かざるを得ません。

方向性という意味では、例えば、(3,4,5),(255,32,257),(4095,128,4097)のように、辺に2のべき乗だけを含む直角三角形の巨大なコレクションのテーブルを作ると、正弦や余弦の逆数を綺麗な浮動小数にできるわけですが、こういうものの需要もちょっとよく分かりません。

そういう諸々を加味して、さらにもう一度記事を読んでみると、なかなか味わい深い出来事だと感じられるのではないか、と私は思う次第です。

13377994 journal
日記

Torisugariの日記: window.history.pushState(...) を使ったブラクラ 6

日記 by Torisugari

最初に、ブラクラを使ったフィッシングサイトの紹介をしようと思っていたのですが、私が知っているURLは既にデッドリンクになってるんですよね。ちなみに、そのURLはhttp://www.support.microsoft2329yjpmss5825.com.s3-website-ap-northeast-1.amazonaws.com/で、またamazonaws.comかよ、とか色々なツッコミどころもあるんですけど、もう外部からは検証不可能なので、なんだか法螺話みたいになってしまったのは勘弁してください。私のブラウザの履歴では今年の7月13日になっているので、そのころまでは健在でした。

このフィッシングサイトは全体的に日本語で書かれていましたが、title要素の中身は"Erreur de securitte"とフランス語を思わせます。つまり、フランス語向けのフィッシングサイトを日本語に翻訳して作成されたのでしょう。そのほかの特徴として、script要素では文字コードが混在しています。日本語の部分はShift-JISで、元あったコードの方は文字化けしています。

最初の見出しには「不審なアクティビティの為Windowsがブロックされました。コンピュータをシャットダウンもしくは再起動しないで下さい。」と書かれていて、この文字列で検索すると、複数のまとめサイトができていて、かなり広範囲にわたってフィッシング行為が認識されていたことが伺えます。「マイクロソフト サポート」を騙っていて、自称エラー番号は「エラー # DW6VB36」、フィッシングの電話番号は"フリーダイアル 03 4579 5825"です。本物のマイクロソフトからも注意喚起が出ています。完全に同じものかはわかりませんが、まあ、ほぼ同一と考えて間違いないでしょう。

「マイクロソフトのサポートを装った詐欺にご注意ください」
https://news.microsoft.com/ja-jp/2017/04/26/170426-information-support/

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ここから先が本題なんですが、「不審なアクティビティの為Windowsがブロックされました。」をGoogleで検索すると、検索候補に「消えない」が付きます。つまり、「不審なアクティビティの為Windowsがブロックされました。消えない」で検索している人が何人かはいるわけですね。

この手のフィッシングサイトは画面を占有し続けるために、いろいろなギミックを使っているのでしょうが、今回の場合、その本命が「history.pushState(...)を使ったDoS攻撃」です。実際に使われていたコード、件のフィッシングサイトで言うと、http://www.support.microsoft2329yjpmss5825.com.s3-website-ap-northeast-1.amazonaws.com/assests/defer.jsにあったスクリプトがこれです。

var total = "";
for( var i = 0; i < 100000; i++ ) {
total = total + i.toString();
history.pushState(0,0, total );
}

このDoSがdeferとは、なんとも気の利いた話じゃないですか。

フィッシングサイトの手口をブログで解説してしまうと、模倣犯を大量に生む危険があるので、元来、あまりやりたくはないんですが、敢えてその禁を犯す理由は、このスクリプトが有名なものだからです。初出はわかりませんが、2016年1月のツイートhttps://twitter.com/fatih_svml/status/689070600653041664で、変数名まで全く同じものが公開されていますし、中国語のサイトhttp://www.infoq.com/cn/articles/dos-attack-analysis-and-defenseでも、変数名が同じです。また、Mozillaでも(安全確保のために非公開にする措置を取らない)既知の公開バグとして扱われています。

Bug 1246773 - Rate-limit history.pushState use - when visiting certain website (misuse of History.pushState), browser hangs and consumes loads of memory
https://bugzilla.mozilla.org/show_bug.cgi?id=1246773

Bug 1242107 - Probably consider truncate unreasonably long url and drop unreasonable long history state
https://bugzilla.mozilla.org/show_bug.cgi?id=1242107

この攻撃がどれほど「有用」だったかは、フィッシングをしていた人が実際に捕まらないと検証できないでしょうが、バグの利用にとどまらず、その実証コード(PoC)と一字一句同じものが「実用」に耐えているのには、正直、驚かされます。いや、本当にびっくりしました。

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日記として書き留めておきたかったことは以上なので、ここからは余談です。

DOM HTMLの window.history.pushState(...)の使い方や使う側の意見は、ウェブ開発の指南本や指南サイトなどで解説されていることと思います。ここでは、ウェブ開発者とは逆の立場、ネットワークの手前側にいるブラウザやそのユーザーから見たpushStateについて、軽く触れておきます。いささか大げさな表現かもしれませんが、そもそも、pushState(...)には、倫理的な問題がある、と思うのです。

かつて、「(ウィルスに感染して)ブックマークが勝手にエロサイトになっていた」という話は、ありふれたものでした。こういう症状の実態がどうだったか、というのは議論の余地があると思いますが、少なくともそういう感想を抱くに至る被害が多発していたのは事実です。また、ウェブ開発の質問コーナーでは、「どうやったら『このページをブックマークに追加する』ボタンをサイト内に設置できますか?」というような相談が頻繁によせられていて、「それは無理です」という回答とあわせてFAQになっていました。「無理ならできるようにしてほしい」という要望もたくさん見かけました。

しかし、やっぱり無理なものは無理です。これは技術的に無理なわけではなく、倫理的に無理なのです。「『ブラウザがウェブサイトのコンテンツを操作する』ことは認められるが、『ウェブサイトがブラウザの機能を操作する』ことは認められない」というのが大前提のルールとしてあり、それを侵せば「ウィルス」呼ばわりも致し方ありません。

少し脱線すると、同様の理屈でwindow.print(...)もかなりインモラルだと考えられますが、一方で、このAPIを取ってしまうと今日明日にも困るところが続出するでしょう。今は、スマートフォンに代表されるように、そもそもプリンタと接続されていない機器が増えていますし、まっとうな標準化がなされたこともありませんから、2重の意味で消滅の可能性がありますが、現段階では前後左右の互換性のために維持されています。

つまり、私が先に述べた原則は既に金科玉条として存在しているわけではなく、これからそうなるように努力すべき目標とでもいうべきものです。そう努めなければ、モラルハザードによって、ユーザーがブラウザ自体を信用できなくなってしまうでしょう。ただ、マイクロソフトがActiveXとAddUrLToFavorites(...)を捨てたように、世の中の趨勢は少しずつこの方向に動いています。マルウェアの脅威が存在する限り、この歩みが止まることもないだろう、と私は思います。

そいう観点でhistory.pushState()を考えると、ウェブ開発者がユーザーのURLバーを書き換えるのは、一線を越えてしまっている、と私は思います。このフィッシング騒ぎも、元を糺せば、ウェブ開発者側がユーザーからUIのコントロールを奪い続けていることにあるので、hisotry.pushState()のバグが偶然見つかった、という話ではなく、もっと構造的な問題として、先に与えてしまった権限を上手く使われているだけなのです。

とはいえ、ですよ、もしpushStateを廃止してしまった時、ウェブ開発者がユーザーのURLバーを操作する方法がないか、といえば、そんなことはないので話は結構ややこしいのです。

例えば、あるサイトがURLを

http://www.example.com/cgi?item=banana

から、

http://www.example.com/cgi?item=banana&lang=ja

に変えたい、と思った時、サイト側はリダイレクトすれば目的を達成できます。逆に言うと、全く同じコンテンツを表示していてURLだけ変更したいのに、それにはリダイレクトしかない場合、完全に無駄な通信が大量発生します。URLに数文字足すだけで、文書全体がリロードされるわけですからね。これではウェブ開発者もユーザーも得をしないので、history.pushState(...)は確かに有用なのです。

まあ、このバグをブラウザ側で直すことは不可能ではありません。なんでもかんでもが仕様のせいとは言えないでしょうし、仕様に書かれていない範囲で無視するという方法もあります。実際、このDoSは履歴を大量に書き換えるので、Firefoxなら履歴のデータベース(SQL)にも負荷がかかるはずですが、こちらは対策済みなので履歴がクラッシュすることはありません。とはいえ、「全ての(モダンな)ブラウザが同じスクリプトでフリーズする」という事実は重い、と私は思います。各々が仕様に忠実に従った結果ですから、実装よりも仕様により多くの問題がある、と言わざるを得ないでしょう。

いささか、話が宗教染みてきましが、細かく対処するか、仕様を見直すか、ユーザーとウェブ開発者の距離感を再検討するいい機会ではないでしょうか。

13289286 journal
日記

Torisugariの日記: 時計台と時計塔 6

日記 by Torisugari

夏目漱石の『倫敦塔』の気に入らないところを挙げるとすれば、まず、それは本の題名です。"Tower of London"は本当に塔なのでしょうか?『倫敦台』の方が的確な訳語だったんじゃないですか?誰が最初に訳したのかわからないので、漱石のせいとまでは言いませんが、重要参考人くらいには値すると思います。

そもそも、塔は卒塔婆の略語で、卒塔婆はストゥーパの音写です。中でも、地蔵・水蔵・風蔵・火蔵・虚空蔵からなる「五重塔」が典型例で、昔の人の墓のデザインは、球・円錐・円柱・直方体などを組み合わせて5つのパーツを積み重ねた形になってますから、ああいうのも塔でしょう。もちろん、現代の墓の横に立てておく木の卒塔婆もそうです。

塔と呼ばれる慰霊碑の例:
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Nyosenji4.jpg

ですから、「法隆寺の五重塔」は本来の意味の「塔」ですが、その中でもやや特殊と言えます。もちろん、私は「塔」は仏教用語に限る、と主張しているわけではなく、イスラム教のモスクにあるミナレットを「尖塔」と訳すのはいいと思いますよ。ケルン大聖堂の屋根にストゥーパのような宗教的な意味が込められているのかは知りませんが、あれだって塔でしょう。でも、要塞兼監獄のロンドン塔は塔ですかね?

開国前の日本にも、高い建物はありました。例えば、城や砦で物見をするために築かれる高い建物はです。あるいは、屋根がついている立派なやつは天守閣、すなわちです。唐の李白が孟浩然を見送った時の高い建物は「黄鶴楼」、つまりですね。こんなに字がいっぱいあったのに、なぜ先人はtowerの訳語に宗教用語の「塔」を選んでしまったのでしょうか。実に不可解です。あ、「台」は適当な例が思いつかないので、イメージがわかない人は『少女革命ウテナ』か『未来のうてな』をご覧ください。

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とにかく、昔は「時計塔」っていう言葉がなくて、時計のための高い建物はすべて「時計台」って呼ばれていたはずです。それも、そんなに遥か昔じゃないですよ。「時計塔」自体は英語で時計台を意味する"clock tower"の直訳になるので確かな初出はわかりませんが、色々調べてみると、2004年に発売されたゲーム・『Fate/stay night』に出てくる「ロンドンの時計塔」が、(重要参考人を超えて)容疑者に近い立ち位置にいます。しかもこれは、ある種のユーフェミズムというか、ビッグベンを「ビッグベン」と明記せずに架空の時計台としてゲーム内に持ち込むための婉曲表現(ややもすれば、意図的な造語)なので、「時計塔」自体は一般的な意味での時計台を表す言葉ではないようです。つまり、ホッチキスとかキャタピラみたいな側面もあるってことです。

Wikipediaの時計台の履歴」を見ると、2007年には既に時計塔でも正しいと思い込む人が出始めているので、本当に2004年のゲームの影響なのか自信がなくなってきましたけど、やはりというか、2004年より遡れるものもなかなかないんですよね。

京都大学には有名な時計台があって、建物の正式名称は「百周年時計台記念館」、建物の前の広場は「時計台前広場」ですが、恐ろしいことに、公式サイトが「時計塔」呼ばわりです。

最初に「時計台」と言っておきながら、「時計塔」を織り交ぜるスタイル
http://www.kyoto-u.ac.jp/static/ja/issue/mm/jitsuha/2012/130222.htm

 時計台の核ともいえる時計は、1925(大正14)年2月に誕生以来、今も現役で確かな時を刻み続けています。今回は、その歴史ある京都大学の「時計塔」の内部をクローズアップして紹介します。

 時計台の時計を40数年間、修理・点検し続けてきた「時計台の主治医」、杉谷ムセンの杉谷鉄夫さんに、月に一度のメンテナンス(点検・修理)に同行させてもらいました。

 メンテナンス用の入り口から続く、92段の急な階段を上ると、時計塔の心臓部にたどりつきます。高齢の杉谷さんにとってはここを上るだけでも、かなりの重労働です。

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ただ、時計台と時計塔に関して言うと、ゲームの存在は蟻の一穴に過ぎなくて、背景としては「台」という言葉が弱くなってきているんじゃないのかな、とも思います。

例えば、「見張り台」と「見張り塔」という言葉を比べてみて、あなたが後者の方が自然に感じるようになってくると、かなり深刻な事態を迎えていると言わざるを得ません。私のIMEだと、「見張り台」は一発変換できますが、「見張り塔」は変換候補にありませんから、「見張り塔」はまだなんだと思います。しかし、「時計塔」はすでに変換候補に入っていますから油断はできません。

台と言えば「滑り台」や「踏み台」ばかりで、見上げるような建物が台のわけはない、ということなんでしょう。「塔」より画数が少ないのがいけないんですかね。いっそ旧字に戻して「臺」にすれば、そびえ立つイメージが付くのでしょうか。「見張り臺」とか「時計臺」とか。

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私が思うに、最初に"sky scraper"を「摩天楼」と訳した人や、"clock tower"を「時計台」と訳した人のセンスは抜群で文句のつけようがないです。それに引き換え「倫敦塔」は残念ですね。

いつか、皆が灯台を「灯塔」と呼ぶ日もきっと来ます。本当に残念なことですけれど。

13171748 journal
日記

Torisugariの日記: 少年法と老人法 3

日記 by Torisugari

少年法がいつからあるのか、というのはなかなか難しい問題です。例えば、英語版Wikipediaの「American juvenile justice system(アメリカの少年法制)」では、19世紀以前のアメリカ合衆国は明文化された少年法的な制度がなく、いわゆる「国親思想」による減刑が判例として出てから法整備が進むという歴史が記されています。これを素直に捉えると、啓蒙君主によって義務教育(1642年,ドイツ)が導入され、社会主義者の工場法(1833年,イギリス)制定で児童労働が禁止され、と言った具合に拡充されてきた子供の福祉と権利拡大の延長線上に少年法がある、と言えそうです。

従来より西欧哲学には「子供の発見」というテーマがあります。要するに、中世までの子供はほぼ大人扱いされていて、「子供」という概念自体が近代思想の産物である、という主張でして、有名どころではルソーの『エミール(1762年)』やアリエスの『<子供>の誕生(1960年)』などがこのテーマを扱っています。これらは実体験や実例を元に書かれていて説得力がありますし、「子供の権利」や「児童保護」などの観点からの社会政策が手厚くなってきたのがごく最近であることは疑いないでしょう。しかし、近代以前に「子供」が未発見だったり誕生前だったというのは、言い過ぎというか、単なるキャッチコピーで大げさなんじゃないか、とも思われます。

我々は、残念ながらとでも言うべきでしょうか、ある種の本能にしたがって子育てをしている面があり、決して理性的な理由だけで子供を「子供」として認めているわけではありません。ですから、どんなに未発達な社会であっても、自然法としての児童保護が発生する下地は十分にあるはずです。また、周りを見渡せば、例えばアゲハチョウは幼生と成体がビジュアル的にはっきり分かれているので、そこから類推すれば「子供」を思いつくのが難しかったとも思えません。そもそも、人間だって二次性徴のような体のしくみがあるわけですから、完全変態とはいかなくとも、ある程度まではヒゲや胸囲などの身体的特徴で区別できます。

実際、芸術方面では聖母子像やせんとくんのような童子像、あるいは能の喝食など、確立された「子供」のジャンルが古くからあります。オリンピアの祭典やローマのコロッセオの格闘技では、競技によっては少年と大人の部門が分かれていました。つまり、スポーツの公平性を担保するために若年競技者の保護策がはかられていたのです。文化的な「子供」が存在しているのに、社会制度としての「子供」だけなかった、というのはちょっとヘンな気がします。古代にもあった代議制をとる国では徴兵義務や選挙・被選挙権に年齢制限がありましたし、社会的な子供は近代になって急に出てきた、というよりは、時代によって出たり現れたりしていた、というべきなのでしょうか。

ただし、ここではっきりさせておかなければならないのは、少年犯罪でイメージするようなティーンエイジャーの「子供」と、工場法で炭鉱から開放された「子供」とでは年齢が全く違う、ということです。少年法にもいろいろな切り口がありますが、大原則として、ある年齢以下の「子供」は無罪になり、ある年齢以下の「子供」は減刑されます。立法趣旨や更生施設の充実など、少年法は見かけ以上に複雑な要素をいくつも孕んでおり、ある地域、ある時代の少年法制と同じものは世界史上2つとないと言えると思いますが、とりあえずはこの2つの年齢、不罰年齢と減刑年齢に注目すると、比較検討が楽になります。アリエスのいう「<子供>」が何かを考える一助にもなるでしょう。

トリボニアヌスが編纂したローマ法大全の『法学提要(533年)』には、以下のように書かれている箇所があります。

III.XIX.VIII.
Furiosus nullum negotium gerere potest, quia non intellegit quid agit.

III.XIX.IX.
Pupillus omne negotium recte gerit: ut tamen, sicubi tutoris auctoritas necessaria sit, adhibeatur tutor, veluti si ipse obligetur: nam alium sibi obligare etiam sine tutoris auctoritate potest.

III.XIX.X.
Sed quod diximus de pupillis, utique de his verum est, qui iam aliquem intellectum habent: nam infans et qui infanti proximus est non multum a furioso distant, quia huius aetatis pupilli nullum intellectum habent: sed in proximis infanti propter utilitatem eorum benignior iuris interpretatio facta est, ut idem iuris habeant, quod pubertati proximi. sed qui in parentis potestate est impubes nec auctore quidem patre obligatur.

日本語にすると、このような感じです。

3巻19部8節
「物狂い(furiosus)」はいかなる契約も結ぶことができない。なぜなら、いかなる行為かを知覚していないからである。

3巻19部9節
「子供(pupillus)」は法的契約を結ぶことができる。ただし、後見人(tutor)の承認が必要な内容ならば、同席している場合に限る。例えば、責務を負うような契約は承認を要するが、責務を負わせる契約なら必要ない。

3巻19部10節
ただし、ここで言う「子供」は知性を持つ場合に限られる。「幼児(infantia)」と「幼児に準ずる者(infanti proximus)」は、「物狂い」と大して離れていない。なぜなら、その年代の子供は知性を持たないからである。この、いわゆる「幼児に準ずる者」への言及は、法の慈悲がそのものたちを利するようにと定められたものであり、そのものたちは「成年に準ずるもの(pubertati proximus)」と同じ権利を持つ。ただし、「未成年(impubes)」で親権下にあるものは、たとえ父親の承認があっても責務を負うことはない。

唐突に幼児を狂人扱いしているエキセントリックな内容で、だからこそ後世の視点からは子供の扱いが悪かったとも言えますけれど、その法の精神、言わんとしていることは明確です。基本的に子供にも大人と同等の法的権利を認め、その上で、子供に不利な契約が結ばれた場合は公権力の介入で契約自体を無効化できるようになっています。最後の部分は難解で私もよく分かっていませんが、父と子が利益相反の場合を想定しているのでしょう。我々のよく知る少年法は契約ではなく刑法犯罪に関するものですが、ローマ法ではほとんどの刑事事件も私法の範疇ですから、児童保護の実現のためにこのような表現になっています。例えば、「幼児に準ずるもの」が被害者の場合は本人が罰訴権と賠償請求権、すなわち刑事訴追と民事請求の権利を持ちますが、「幼児に準ずるもの」が加害者の場合は、罰や賠償など責務を負わされることがないので少なくとも本人は無罰になる、ということです。

ここで出てきた4つの区分、「幼児」、「準幼児」、「準成年」及び「成年」のうち、「幼児」は7歳未満、「成年」は14歳以上を指します。残りの「準幼児」と「準成年」には諸説ありますが、英国法の解説書『イギリス法釈義(1765年)』では、7歳と14歳の中間をとって10歳半年で準幼児と準成年を区切る、という解釈を採用しています。

FIRST, we will consider the case of infancy, or nonage; which is a defect of the understanding. Infants, under the age of discretion, ought not to be punished by any criminal prosecution whatever.1 What the age of discretion is, in various nations is matter of some variety. The civil law distinguished the age of minors, or those under twenty five years old, into three stages: infantia [infancy], from the birth till seven years of age; pueritia [childhood], from seven to fourteen; and pubertas [puberty] from fourteen upwards. The period of pueritia, or childhood, was again subdivided into two equal parts; from seven to ten and an half was aetas infantiae proxima [age nearest infancy]; from ten and an half to fourteen was aetas pubertati proxima [age nearest puberty]. During the first stage of infancy, and the next half stage of childhood, infantiae proxima, they were not punishable for any crime.2 During the other half stage of childhood, approaching to puberty, from ten and an half to fourteen, they were indeed punishable, if found to be doli capaces, or capable of mischief; but with many mitigations, and not with the utmost rigor of the law. During the last stage (at the age of puberty, and afterwards) minors were liable to be punished, as well capitally, as otherwise.

まず、幼児期あるいは乳幼児期への理解の欠如を考えよう。分別年齢未満の幼児はいかなる刑事訴追においても罰せられるべきではない。分別年齢を何歳と定めるかは国によってまちまちである。ローマ法大全では25歳以下の年少者を3つの段階に分けている。すなわち誕生から7歳までの幼児期、7歳から14歳までの少年期(pueritia)、その後の成年期である。 少年期はさらに等分され、7歳から10歳半年までを準幼児期、10歳半年から14歳までを準成年期とする。最初の区分である幼児期と、少年期の前半である準幼児期においては、いかなる犯罪でも処罰されなかった。少年期の後半、成年になりつつある10歳半から14歳の者は、責任能力(doli capaces)、あるいは犯罪実行能力を備えているとみられれば、実際に処罰されえた。しかし、その場合でも、多くの酌量があり、最大限に厳格な法の適用がなされることはなかった。最後の時期、(成年期とそれ以降)においては、年少者は能力その他に応じて処罰される傾向にあった。

ところで、日本の新旧刑法では以下のような条文があります。

旧刑法:

第七十八条 罪ヲ犯ス時知覚精神ノ喪失ニヨリテ是非ヲ弁別セサル者ハ其罪ヲ論セス

第七十九条 罪ヲ犯ス時十二歳ニ満サル者ハ其罪ヲ論セス但満八歳以上ノ者ハ情状ニ因リ満十六歳ニ過キサル時間之ヲ懲治場ニ留置スルコトヲ得

新刑法:

39条 心神喪失者の行為はこれを罰せず、心神耗弱者の行為はその刑を減軽す。

41条 十四歳に満たざる者の行為はこれを罰せず。

つまり、刑事責任年齢が12歳から14歳に延長されています。少年法にも新旧があり、日本が新少年法を導入したのは戦後GHQの指導を受けてのことで、その時の刑事責任年齢は14歳でした(2007年に再び「おおむね12歳」まで引き下げられました)。ですから、この14歳の根拠はおそらく当時の米国少年法に規定されている「分別年齢(the age of discretion)」であり、米国の少年法成立の時点での分別年齢の根拠は『イギリス法釈義』なので、この14歳はローマ法大全の『法学提要』、ひいてはその元になったガイウスの『法学提要(161年)』まで遡ることができる数字、ということになります。いささか意地悪な言い方をすれば、14歳未満を免罪する根拠は科学的なものではなく、単に2,000年程度の伝統でしかないということです。

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以下メモ

http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/774618/40

さて、漢書の恵帝伝の最初の方に、「民年七十以上若不滿十歲有罪當刑者皆完之(前195年)」とあり、物の本によると、漢代の「完」刑は、「(剃髪と足枷を課さない)5年の有期徒刑」だったらしいので、70歳以上の老人と10歳未満の子供は肉刑(棒や鞭で叩かれる刑)を免れ、禁錮か懲役へと減刑されたことになります。 秦律は厳格で有名、劉邦も。ガイウスと同年代、春秋・戦国に

この年齢区分法は唐代になるとかなり明確な規定になります。『唐律疏議(652年)』の「名例律」では次のようになっています。

諸年七十以上十五以下及廢疾犯流罪以下收贖
犯加役流反逆緣坐流會赦猶流者不用此律至配所免居作
八十以上十歲以下及篤疾犯反逆殺人應死者上請盜及傷人者亦收贖
有官爵者各從官當除法余皆勿論
九十歲以上七歲以下雖有死罪不加刑緣坐應配沒者不用此律

儒教・尊属殺人・卑属殺人・性善説・性悪説・宋律・明律・清律・大宝律/養老律・中華民国刑法(1934年)。

https://zh.wikisource.org/wiki/%E4%B8%AD%E8%8F%AF%E6%B0%91%E5%9C%8B%E5%88%91%E6%B3%95_(%E6%B0%91%E5%9C%8B23%E5%B9%B4%E7%AB%8B%E6%B3%9524%E5%B9%B4%E5%85%AC%E5%B8%83)

第十八條
 未滿十四歲人之行為,不罰。
  十四歲以上未滿十八歲人之行為,得減輕其刑。
  滿八十歲人之行為,得減輕其刑。

13106505 journal
日記

Torisugariの日記: 攻める米の値段 8

日記 by Torisugari

自炊して自分でお米を買っている人や、あるいはお米を売っている人ならよく分かると思うのですが、今、玄米60kgの平均価格が14,000円前後なんですよね。60kg20,000円が選挙の争点になろうとしていた頃とは隔世の感があります。しかし、正直なところ、この値段はどこまで下げることができるのでしょうか?

この先の話は結構ややこしいので、先に結論を言うと、私は2,000円前後まで下げるべきだと思っています。今の14%、8.6割引ですね。スーパーで10kgのコメ袋を買った時に、税込み500円でお釣りが出るか出ないか、という程度、と言いましょうか。デフレに悩む日銀の人が聞いたら卒倒するかもしれません。ちなみに、2,000円の根拠はベトナム米の相場です。政府がミニマムアクセスで調達しているカリフォルニア米中粒+タイ米長粒の相場は、今月、キロ60円、つまり60kg3,600円なので、とりあえずはそこでもいいのですが、国際市場では戦えないので、最終的には2,000円を目指すべきでしょう。

どうやって米の値段を下げるのか、といえば、もう、それは補助金しかありません。しかも今までのような生半可な補助金ではありません。最低でも兆単位でもってして、米農家を補助金漬けにするのです。財源がない?もちろんありませんから、社会保障費を充てます。

おいおい、と思った方、まあ待ってください。今、日本人は年間平均54.6kgの精米、つまり、ほぼ玄米1俵60kgの米を消費しており、その原価が約14,000円だったところ、2,000円に下げよう、というのです。つまり、これは国民全員に年間12,000円の可処分所得をバラ捲くに等しい行為ですから、社会保障以外の何物でもありません。年金や生活保護を切り詰めるには十分な理由でしょう。まあ、めんどくさいので、国民ひとりあたり12,000円の負担が増えるように所得税率を上げるのでもかまいません。その場合、金持ちも貧乏人も、米を食べる量は大して変わらないでしょうから、中流層の家計への影響はゼロで、金持ちが貧乏人に米を配るような感じになるはずです。社会主義的な観点でいうと、12,000円分の米が配給されるようなものだ、といった方が分かりやすいでしょうか。

さて、消極的なメリットの次は積極的なメリットの話に移りましょう。米が60kg@2,000円になったら、何が嬉しいのか。言うまでもなく、「コメの関税」をゼロにできるのが最大のメリットです。戦後日本は伝統的に加工貿易の利益を享受してきた関係上、自由貿易を標榜し、安倍首相に至っては、日本主導で自由貿易体制を牽引し保護主義に対抗するという趣旨のことまで言っています。その日本の自由貿易における最大の弱点が米をはじめとする農産物であることは議論をまたないでしょう。しかし、コメの関税がゼロならどうですか?日本は完全無欠の自由貿易主義国として、何ら政治的的譲歩をすることなく外交交渉に挑むことができます。真の意味で強い日本が誕生するのです。

2つ目のメリットとしては、農業技術の向上が挙げられます。実は、日本の農業技術は先進国どころか開発国にもすでに後れを取っているという指摘があります。過去の日本の農業政策に詳しくない方はピンと来ないかもしれませんが、米や嬬恋村キャベツなどには「生産調整」という恐ろしいイデオロギーがあり、要するに「量を作り過ぎないようにしろ」「耕作面積を減らせ」「もし豊作で作り過ぎたら捨てろ」と言われ続け、その通りにしてきました。こういう状況では「今週中にあと4ヘクタールの稲刈りをしなきゃいけないから、もっと高速で進むコンバインを買おう」とはなかなか思えないもので、効率の追求は疎かになり、消費者にほとんどニーズのない付加価値を付けることに腐心してきました。しかし、60kg2,000円の米は海外市場と互角に渡り合い、太平洋の対岸にある水田を全てトウモロコシに転作させることができる、攻めの値段です。余った分を海外に売ればいい、となれば生産調整をする必要もありません。量を作るからこそ、効率が重視され、新しい農法や農作業機械も生まれようというものです。

突然こんなことを言いだす人が現れたら、面喰う人も多いでしょう。でも、これは私が考えたアイデアではありません。実は、アメリカとEUの農家は既に上記のレベルで完全に補助金漬けなのです。日本の牛が食べているトウモロコシだって、その半分以上がアメリカ国民が払った税金で賄われています。つまり、先進国の農業はずっと前から社会主義だったのです。なぜ、そんなことに無駄な金を使うのでしょうか?端的に言うと、農作物は単なる商品ではなく重要な物資だからでしょう。そして関税交渉で弱みを作らず、労働者の受け皿にもなる、一石で4鳥も5鳥もあるのが、補助金漬け農業なのです。

生産性を高く維持したまま不労所得を出さないような補助金の授受方法は、耕作面積ごと、収穫量ごと、相場の含み損補償など、もうすでに欧米では研究されつくしているので、あとはそれを真似するだけです。塩漬けになった耕作放棄地が多いのが日本の特徴ですが、それも耕作面積補助金と農地の固定資産税をリンクさせる形で徐々に上げてゆけば、すぐに問題ないレベルまで流動化するでしょう。

かつて、日本も補助金漬け農業に舵を切ろうとしていた時期がありました。しかし、その時は時世が悪く、金額も中途半端になってしまいました。具体的に言うと、ドーハ・ラウンドでは、「(日本を除く)先進国の農産物が補助金によって不当に安くなって開発国の農家を廃業に追いやっているから、補助金をやめろ!」というのが最大の焦点だったので、日本が「いままで色々交渉してきたけど、今から米価を下げるために補助金をジャブジャブ出す」とは言い出しづらい状況でした。しかし、欧米の努力により、ドーハ・ラウンドは2011年に吹き飛んでしまったので、(WTOの補助金協定さえ守れば)今や農家を補助金漬けにすることに誰を憚る必要もありません。むしろ、今後の情勢はどう動くか読めないので、今しかないのです。

こうしておけば、この美しい国から朝食パン党が根絶され、再びごはん党が栄華を謳歌することになるでしょう。

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身近な人の偉大さは半減する -- あるアレゲ人

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