YoRの日記: 現在地 うどん県さぬき市
ほぼタイトルオンリー。
あけましておめでとうございます。
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ほぼタイトルオンリー。
あけましておめでとうございます。
最近考えてるSFガジェット。
詳しい計算をしていないので、成立するかどうかわからないけど、とりあえず書いてみる。
恒星を球体で取り囲んでしまうというのは従来のダイソン球とぜんぜん変わらない。
私はダイソン球は回転して内側に住むというものしか見てないような気がする。
今考えているのは球の外側に住むことを前提とする。
このダイソン球では、球殻は中心の恒星にたいして静止している。
球殻には恒星の重力が働くが、それに対して恒星の輻射圧などを利用して支える。
もしかすると恒星の大気圧で支えるのかもしれない。
つまり球体は内側から力を受ける。その力のほうが大きい場合、球殻の引っ張り強さによって形を維持する。風船と同じである。
球殻の上(外側)は、恒星の質量を由来とする重力が存在する。地球由来の生命を住まわせるためには1Gに設定するのが良いだろう。
これによって恒星の質量と球殻の半径が決定される。
球殻の上には大気を持たせる。ある程度の凹みと水を用意すれば海も作れるだろう。
エネルギーは恒星から供給される。つまりこの世界においては地熱である。
問題は光である。この構造では恒星の明かりは地表に届かない。何しろ地下深くに埋まっているのだから。
というあたりで、地熱を利用して人工太陽を作ることを考える。別に飛ばす必要も無いだろうし、ある程度の高さの「太陽の搭」が表面に無数にあるのだろう。
一日に一度明るくなって暗くなる。近くから球体を見ると明るい半球と暗い半球がぐるぐる回っているように見えるのかもしれない。
これにはいろんなパターンがあってもいいと思われる。
結局のところ、この人工太陽の明かりやそのほかにヒートシンクなどがあって、それが放熱することによって利用可能なエネルギーを得るのだろう。
球殻の内側は放射圧の利用のため、どちらかというと白い表面になっていると思う。
そうすると熱が溜まり、恒星が過熱されると思う。
このあたりから先は専門家に聞いてみたいのだが、主系列星を過熱するとどうなるのだろうか。
私の想像では、恒星が熱によって膨張し、密度が下がり、中心核の熱核反応も穏やかになるのではないだろうか。
つまり、重い星を素材としてこの球殻を作れば、あっという間にエネルギーを使いつぶすのではなく、ゆっくりとエネルギーを利用できるのではないだろうか。
さて、この球殻の上に住むことを考える。
表面積はとんでもなく広い。地平線なんてものは大気の透過率の問題で見えないのではないか。
朝は遠くの地平に赤く(レイリー散乱によって)輝く人工太陽の光が次第に押し寄せてくる。
そして自分の地域を主に照らす人工太陽が光り出し、昼間となる。
そして人工太陽の光が消えて行き、明かりは遠くへと去っていく。
よほど速い移動手段を作らない限り、一周旅行すら一生では終わらないだろう。
当然、生物は地域的隔離によりいたるところで別個の進化をしていくだろう。
どのような奇妙な世界となるのだろうか。想像は尽きない。
うどん県はともかく、さぬき市は香川県に存在してて、実際の私の本籍地なわけです。
なので、あのトピックはまじなのでs orz
9/3、9/4と静岡のグランシップで行われた第50回日本SF大会「ドンブラコンL」に参加してきた。
二日間面白かった。
ほとんど分科会ばっかり出てて飯の暇がなかったのがつらかったけど。これ何とかなりませんかね。
一日目。会場に着く前に静岡駅のホームでSFファン交流会で知り合った人と合流。そのまま会場に向かう。会場で他の人とも合流。そのままオープニングへ。
オープニングとエンディングの司会は声優の池澤さん。さすがプロ。更に根っからのSF者ゆえか空気もノリもわかっていてアドリブとかも楽しかった。
星雲賞授与式では実は横に座ってる人(ファン交で知りあった)がエントリーされてたなどあって、周りの人が目配せで残念を伝える的な。事前にわかってたわけだけど。
星雲賞授与式では小川一水氏がちょっとなにか言いたそう。でも大会終了後のツイートで見方が変わったみたいなことを言っていた。前にこの人がツイッターで論争したことも合わせ、ちょっと興味深い。
大会中、突然声をかけられたり結構な有名人とあいさつしたりとかいろいろあった。というか建物のつくりのせいでエレベーター前が渋滞することしきり。そういうわけでそこでみんな顔を合わせてしまうわけだ。
最初はダイナミックフィギュアの分科会。自分の実家付近が蹂躙された縁もあったので行ってみる。舞台のあたりに行ったことがある人と質問されたので出身地ですと言ったら作者の三島さんに目を付けられた(笑)。というか他にそっちに行った人が誰もいない。
表紙イラストの加藤さんとも舞台付近の風景とかについて話せたので感激する。作中での作者の意外な思惑とか聞けて楽しかった。
次の分科会はパスしてギャラリーとか見て回る。とびもの学会の人(友人)の邪魔をしながらぶらぶらしているといろいろな話があるわ、いろんな人が来るわ。
その後の分科会で天文のところに行くと人が少ない。でも来年春の金環食の話題や望遠鏡の作り方、宙のまにまにの終了など興味深い。そういやアニメ宙まにの監督は妻方さん(高松信司監督の昔のペンネーム)だったと気づく。主題歌も好きなeufoniusだし。なんで見てなかったんだろう。
分科会では宇宙開発は盛り上がってるけど天文を扱うマンガなどが少ない、その代りなぜかエ○ゲにはよく出てくる、しかし描写はいろいろおかしすぎるなど突っ込み入れまくり。
ここは次のコマの部屋の使用がないので急遽二コマぶっちぎり。晴れたら観望会をするつもりなのに空が晴れない(台風来てるし)のでみんな恨みながらアットホームに時間が過ぎる。
ここでの、外に出たら忘れるようにと言われたことについては言わないのが吉だろう。
そして一日目は終了。
二日目。一時間ほど早く着いたので、静岡駅の周りをぶらつく。地図を見ると駿府城が近かったので散歩がてら行ってみる。門の説明を読んで、そういえば徳川家康の城だったことに気が付く。というかこの城は家康が隠居城として作ったものなのだ。公開されてたのだけど時間が気になったのでパス。今度機会があったら入りたい。
近くの静岡鉄道の新静岡駅から会場最寄りの柚木駅まで乗る。鉄だから。なぜか車内が悪徳商法への注意で埋まっている。柚木の読みは「ゆのき」でよんちゃん(BPSバトルプログラマーシラセの柚木頼子)と同じ読み。ふーむ。
そのまま会場まで歩くことにした。途中、東静岡駅の構内を通ることにする。そしたら駅の北側に謎の露天掘りがあることに気がつく。注意書きを見ると遺跡の発掘調査とか。
そのまま会場まで歩く。エントランスで知り合いと出会い挨拶。一コマ目へ。
MM9の分科会。MM9世界をシェアドワールドにしたいので、みんなでネタを寄せあおうという趣旨。
MM9は現実の事件を怪獣事件としたオルトネートワールドなので、どの事件をネタにするか取捨選択が難しかったなど。全部ネタにしてしまうとその世界では地震や台風がない日本になってしまうわけである。
イーガンネタがかなりネタになるなと思うなど。一時に大量の被害は出さないが土地に居座り続ける怪獣の提案など。アメリカの怪獣の実態、宇宙人が攻めてくる理由、江戸時代の怪獣の扱い、怪獣頻発地域についてみんなで考証するなど。
続いてSF軍事考証の分科会。中身はほとんどミリタリSFの作品紹介など。
最初にここで題材にする作品を既に読んだ人を調べてたら、私の読書歴はその場でもかなり読んでいるほうだった。そんなにミリタリばっかり読んでいたのかと驚く。
ミリタリSFとその周辺ジャンルについての線引きについていろいろ。ミリタリSFは戦艦とか戦闘機ではなくて人物が表紙になっているの法則。その場にいた本職のイラストレーターが、架空戦記は戦艦、戦闘機を書くようにと出版社から求められると証言があった。
日本、海外分かたずこれは使える法則らしい。
イラストレーターによって売れ行きが変わるのはラノベ並にミリタリSFでも顕著らしい。岡部さんすら表紙買いしていることが判明。よく考えたら私もそうだなあと思う。
アメリカではミリタリSFがよく売れてるらしいのだが、そういう売れてる本のあらすじを紹介されるとあちこちで「スターシップトルーパーズ」のささやきが。当然映画版。
要はその手のがあっちの兵隊さんに感情移入されやすいらしくて売れてるんだそうな。それはわからなくもないが…。そういえば日本では架空戦記はSFもの相手ではなくサラリーマン相手だと話が出る。
テクノスリラーとミリタリSFの境目も話に出たけれど、まあ、SF要素が強くてもテクノスリラーはSFではなくNVで出すとハヤカワの人。
あと、創元からビジョルドの作品の続きがでてこないことについて、俺が代わって出してやりたいという発言も。
岡部さんが現実のCICのルーツについてレンズマンに言及するなど。そこでその船の名前についてドーントレスとかブリタニアとかの声が上がったのを間違いと指摘したのが私の唯一の発言。「ディレクトリクス号」までは思い出せなかったけど。
最後はストパンの分科会。ここはラジオのSF大会出張版みたいな。パネルからの面白い発言も多いがそういう場のテンションでの発言かと思う。
このシリーズが長く広く展開しているのはなぜか売れちゃったから、女の子を空に飛ばすにはどうするかが魔法なのだから細かい考証はいらない、パンツは歴史上ここ百年のモノでしかないのだからあれは「ズボンだ」、アニメでは線が描き切れないからコスプレする人は本物を見て考証してくれ。といった発言がとび出す。
そして海外の評判について、とても好意的で特にフィンランドとか(たぶん歴史的にマイナーだから)取り上げてくれてうれしいといった反応があったなど。
しかしなんとなく私はこういった姿勢に不安を感じた。世界を広げすぎると物語に枯渇するものが出てきやしないだろうか、みたいな。
話の中で、スタッフの名前になんか気になる人がいるような気がしたけど、まあ、主人公の声は美紗緒ちゃん(BPS)だし。
エンディングでは各賞の発表。印象的だったのは「華竜の宮」の名前が頻発すること。この作品が去年のベストであったことは間違いないと思う。
センスオブジェンダー賞特別賞「スワロウテイル人口少女販売処」の授与の時に、「アンブレラ」をさした人工妖精のコスプレで賞を手渡していた。
そして「宇宙へ飛び立った船の中」という想定で行われたSF大会は終了。
終わったあともエントランス付近で知り合いと挨拶したり歓談したり。その後静岡駅で喫茶店でしばらく喋ったあと、新幹線で東京へ。しかしその時点で前の列車が出たばっかりで三十分ほど来ないというハプニングなど。ようやく乗り込んでビールを買ってなかで東京までぷち宴会。
大会の関係者様、またお会いできたすべての方に楽しかったですと感謝を。
私は前に、どこかの日記で、技術者は社会を騒がせるような技術を作ることを目指すべきだ。そのためには少々法律の規制から離れてもやむを得ない、といったことを書いたことがあります。
これは、従来の法体系や社会制度では想定されていないようなものを作ることをためらうべきではない、といったような意味です。
例としては変かもしれませんが、過去においては電子メールですら日本では想定外のものであり、導入までに様々な調整があったそうです。
かなり最近まで検索エンジンすら厳密には違法だったとか…
そういう社会が想定していないような新しい技術を作るのならば、社会が追いつくのを待つ必要はないということです。
便利なもの、またはただ混乱を招くようなものでも、まず技術の存在を示さなければ社会が動かないからです。
それは必要によって調整されていきます。またそういう調整をするのが社会の義務ではないかと思います。
でもイカタコがやってたのはその手のではなく技術としても新規性はなく、単に迷惑なだけの行為でした。
そのようなことは支持できません。
同じ迷惑をかけるなら、だれもが驚くようなすごい技術を示さなければ、ただのつまらないいたずらです。
本当の病気ではないのだろうけど、ある種人格障害のようなものに見えてしまう。
ほとんどの人が落ち着いてきたからこそまた目立ってるんだと思うんだけど、最近になって間違った形で不安を煽ろうとしている(たぶん本人にはその自覚はない)人たちの発言を目にする。夏休みになったから、もしかすると学生さんも交じってるのかもしれないけれど。
発言を見ていると、気にする必要がないのに少しでも危険があるような気がすることを見つけ出しては「ほらこれは危険じゃないか」と言っている感じ。つまり、自分の不安を補強する情報を自ら求めてそれを見つけると騒ぎだす。不安の増幅を自ら行っている。
反論されると感情論に走り出す。場合によっては相手の人格すら攻撃する。
トンデモさんの典型とよく似ている。そもそもその手の事象に詳しくないため、安全と危険の基準について理解出来ていないことが多いようだ。本当は冷静になれば理解できる人なのかもしれないけれど、理解すること自体を放棄しているようにも見える。
別に根本的なところから理解する必要はなくて、専門家が言ってることと報道の情報を見比べるだけでもいいんだけど。
ただそういう人たちは専門家すら疑う。いや、実際に「自称専門家」も不安をあおったりしてるけど。でも肩書を見れば大体区別がつくはずなのに。
でも「放射脳」な人たちは、自分の不安を補強する人を正しい専門家とみなし、それを否定する人を似非専門家とみなしてしまう。結局のところ、自分の都合で選別しているだけだ。客観性というものがない。
危険を感じたためにスイッチが入ってしまっただけなのだろうか。それならば冷静さを取り戻せるかもしれない。
けれど、スイッチが切れない人もいるようだ。元々人格的に問題があった人も幾分見つかる。前々から名だたるトンデモさんだった人とか。
とにかく今は、ネット上ではそういう人たちの言動に対しては淡々と火消しをしていくしかない。でないと延焼する可能性がある。
でもそれは「放射脳」な人たちのメンタルケアとしては最悪の方法なんだろうと思う。
何とかならないだろうか。
終了がアナウンスされた「水戸黄門」。その主題歌「あヽ人生に涙あり」。
あれと「どんぐりころころ」が互換性があるというやつ。
そう。あれは高校二年の三月(だったはず)。
高校で私の一つ上の学年の人たちが卒業していったあの日。
あやしい連中があやしい歌を延々と歌っていた。
その中で「どんぐりころころ」の歌詞で「ああ人生に涙あり」が歌われていたのだ。
その翌週、「さだまさしのセイヤング」でこの曲が取り上げられた。
これを聞いた誰かが投稿したのだ、と私は今でも思っている。
私の父方の曽祖父は香川県大川郡造田村の初代村長だと聞いている。
母方の曽祖父は同村の収入役であった。
…しかし家をつぶして若死にしたと母方の祖父に聞いたのだが…そんな人が収入役やってて大丈夫だったのか?
この母方の家には室町時代の当地の豪族の子孫であるという伝説がある。少なくとも同じ名字を現在も使っている。
この村の読みは「ぞうたそん」である。ややこしいことに香川県内には同じく造田村と書いて「そうだむら」があった(綾歌郡)。
つまり私の曽祖父は「そーだーむらのそんちょーさんがそーだーのんでしんだそーだ(阪田寛夫)」の村長さんではない。
ちなみに父の従兄は現在横綱審議委員である。元日弁連副会長と言うと特定されるが、私の祖父の姉の息子に当たる。
つまり造田村初代村長の孫であることになる。
表でモデレートしちゃったんで書きにくくなったし、もう同じことが何度も言われてるのでこっちで。
メモリ管理や速度が重要視されるような分野ではCかアセンブラくらいしか選択肢がない。だからこそCはもう嫌と言いたい。
なぜかというとこの分野でCよりもいい言語が見当たらない、少なくともメジャーになっていないから。
だいたい新言語はどれもメモリ管理が言語の前提になってるものばっかりなんだよな。つまりそれだけみんなメモリ管理が嫌いということなんだろうけど。
だからCに替わる言語が出てこない…。誰か作ってよー。
去年はいろいろとあって、自分にとってはあまりよくない歳だった。
今年はどうだろう。
物事のやり方は一つではない -- Perlな人