YoRの日記: 敏感、鈍感
日記 by
YoR
一見、鈍感に見える場合、実は敏感すぎるのが原因かもしれない。
センサー類を扱っている人ならばよくわかると思うが、入力が大きすぎると量を計測することができなくなる。下手をすると壊れてしまう。
人の心でも同じようなことが起きる。「あの人は鈍感だ」と見えていても、実はその人の心の中では鈍感どころではなく、あまりに鋭敏に感じすぎているために、その感覚を否定しているのかもしれない。
ネットで長い間問題を起こし続けているとある人がいる。彼を観察している人からは、彼は鈍感なので行動をあらためることができないのでは、という感想が聞かれることがある。
私は違う感想だ。彼はあまりに敏感すぎて、そこに触れることを心が拒否してしまっている。そのためにすべての解釈がゆがみ、自分がしていることを他人に投射してしまう。この投射(投影)という言葉は、心理学のほうで防衛機制の一つとして解説されている。投影ができるということは、彼は自分の行動がよくないことであると無意識では解釈できているということになる。そのことに耐えられず、他者の行動であることにしてしまう。似たようなことは、彼に限らず、問題を起こす人に共通してみられる。「電波さんの標準装備」と言われることもある。
自閉症の解釈としても、現在ではそれと似たようなものになっている。彼らは入力にゆがみがあるために、ある種の感覚に敏感になってしまい、それに耐えられず遮断するしかなく、結果自分の世界にこもることが多い。それが主症状と誤解されていた、というものだ。
逆の例、だと私が思っているものを示す。昔の知り合いに、今から思うと典型的なアスペルガー症候群の人がいた。この症候群は自閉症のスペクトルだと言われているが、疑問点も出ている。私もその疑問を持つが、それは彼の行動を考えてみたからだ。私は入力のゆがみ(自閉スペクトル)ではなく、心の持つ機構の欠如(LD 学習障害)の一種だと思っている。
彼の場合は、行動と感情の間にある相互作用が全く理解できないようだ。彼に感情がないわけではないし、感情を自身の行動に反映させることもできる。彼の場合単に、他者の行動からその人がどのような感情を持っているのかを解釈する部分が存在していない。この為に自分の行為が他者にどのような感情をもたらすかがわからない。自分の内でのシミュレート(イメージトレーニング)が正しくできない。人との交流の結果が、自身の予想と現実とで大きく乖離してしまう。
結果は悲しいことに、彼は誰と交流しても嫌われてしまう。彼自身には全く悪意はない。それは私にもよくわかったのだが。
これは、センサーが鈍感すぎる場合だ。
センサーは敏感である方がいい。だがあまりに敏感すぎるとやはり役に立たない。使う際には限界を見極めなくてはならない。
対人関係でもそれは必要だ。また、自分の感性を磨く上でも重要だ。他者に有能さを求めることにおいても。
自分と相手のセンサーの感度に違いが大きい場合には、それを察することが難しい。そこを測り間違うと、人間関係にとどまらず、人生にまで影響する。
特に教育に関しては、敏感を察することができないと生徒の長所を殺すことになりかねない。それを彼は自分の存在の否定と受け止めるだろう。
センサー類を扱っている人ならばよくわかると思うが、入力が大きすぎると量を計測することができなくなる。下手をすると壊れてしまう。
人の心でも同じようなことが起きる。「あの人は鈍感だ」と見えていても、実はその人の心の中では鈍感どころではなく、あまりに鋭敏に感じすぎているために、その感覚を否定しているのかもしれない。
ネットで長い間問題を起こし続けているとある人がいる。彼を観察している人からは、彼は鈍感なので行動をあらためることができないのでは、という感想が聞かれることがある。
私は違う感想だ。彼はあまりに敏感すぎて、そこに触れることを心が拒否してしまっている。そのためにすべての解釈がゆがみ、自分がしていることを他人に投射してしまう。この投射(投影)という言葉は、心理学のほうで防衛機制の一つとして解説されている。投影ができるということは、彼は自分の行動がよくないことであると無意識では解釈できているということになる。そのことに耐えられず、他者の行動であることにしてしまう。似たようなことは、彼に限らず、問題を起こす人に共通してみられる。「電波さんの標準装備」と言われることもある。
自閉症の解釈としても、現在ではそれと似たようなものになっている。彼らは入力にゆがみがあるために、ある種の感覚に敏感になってしまい、それに耐えられず遮断するしかなく、結果自分の世界にこもることが多い。それが主症状と誤解されていた、というものだ。
逆の例、だと私が思っているものを示す。昔の知り合いに、今から思うと典型的なアスペルガー症候群の人がいた。この症候群は自閉症のスペクトルだと言われているが、疑問点も出ている。私もその疑問を持つが、それは彼の行動を考えてみたからだ。私は入力のゆがみ(自閉スペクトル)ではなく、心の持つ機構の欠如(LD 学習障害)の一種だと思っている。
彼の場合は、行動と感情の間にある相互作用が全く理解できないようだ。彼に感情がないわけではないし、感情を自身の行動に反映させることもできる。彼の場合単に、他者の行動からその人がどのような感情を持っているのかを解釈する部分が存在していない。この為に自分の行為が他者にどのような感情をもたらすかがわからない。自分の内でのシミュレート(イメージトレーニング)が正しくできない。人との交流の結果が、自身の予想と現実とで大きく乖離してしまう。
結果は悲しいことに、彼は誰と交流しても嫌われてしまう。彼自身には全く悪意はない。それは私にもよくわかったのだが。
これは、センサーが鈍感すぎる場合だ。
センサーは敏感である方がいい。だがあまりに敏感すぎるとやはり役に立たない。使う際には限界を見極めなくてはならない。
対人関係でもそれは必要だ。また、自分の感性を磨く上でも重要だ。他者に有能さを求めることにおいても。
自分と相手のセンサーの感度に違いが大きい場合には、それを察することが難しい。そこを測り間違うと、人間関係にとどまらず、人生にまで影響する。
特に教育に関しては、敏感を察することができないと生徒の長所を殺すことになりかねない。それを彼は自分の存在の否定と受け止めるだろう。
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