「インターネットの良さ」「接続料金」「子供が受ける被害」、
それぞれ並列に比較して大きい小さいを決められるものではないです。
料金は数値として扱えます。
被害児童の心の問題は、規模を考えることが可能かつ不可能なように思える。
「インターネットの良さ」については、茫洋としすぎて捉えられない。
インターネットに与えたある変化が、全体の「良さ」にどう影響を及ぼすのかも予測できない。
検閲や表現の自由といった概念についても同様です。
しかし現実に存在する問題について判断しなくてはならない。
比較しようがないものを無理矢理比較するとき、人間はどこかで「直観」に頼っている。
直観を理性とともに用いるのは人間として当然なことで、要はバランス感覚なのでしょう。
しかし今回の「ブロッキング」は、この人間の直観というものを無視して通り過ぎているように感じます。
では効果やコスト、リスクについて定量的に議論して理性に訴えているかというと、今のところそうではない。
ここのところも、なんとなく「雰囲気の悪さ」を感じてしまう人が多い(らしい)原因ではないでしょうか。