cyber205の日記: マキーノ氏は元CDC Cyber205/ETA-10G利用者 2
某所ではメタルラックのエレクターやそのパチモンの総称として知られ、
そのテの神として知られるGRAPE開発者、東京大学理学部天文学教室 牧野淳一郎氏なのだが、
彼がGRAPEに参加するまで、いろいろなスパコンを使っていた中に、
CDC Cyber205/ETA-10Gの利用経験があるというのは初めて知りました。
へ~、そうだったのか。
でも評価は散々。
> その後、 1989年に GRAPE プロジェクトを始める前までのことを考えると、
> Cray-XMP, CDC Cyber205, ETA-10G, NEC SX-1, 日立 S-820、富士通 VPP-400 と
> 色々なベクトル計算機を使いましたが、どの場合でも基本的には上で述べたような、
> 既にあるプログラムを少し手直しして使う、ということができました。
> もっとも、この中で結構駄目だったのは CDC Cyber205/ETA-10G で、
> 書き換えの範囲は結構広いし、場合によってはアセンブラ命令を使うとかしないと
> なかなか性能が上がりませんでした。
がっくし…特筆されるほどダメなマシンだったのね(汗
CDC6600やCray-1は有名でも、同時代のCyber205にイマイチ知名度が無いのは
その性能があまり良くなかったというのも理由として有るのかもしれません。
まぁ、フルチューンドになった時の演算性能は初代クレイよりちょっと上ぐらいの能力があったけど、
ベクトル演算パイプラインの制御がマイクロコード方式で、レスポンスが遅かったから
チューンは難しかったらしいのですよ。ピーク性能だけ高くても…ね。
P.S
コメントで教えてもらったのですが、どうやらマキノ神に捕捉されてしまったようです。
トラックバックは使ってないから、アクセスログでわかったのかな。
なんか、本当に物凄かったのはCDCから独立して作られたETAのほうのマシンで、
先代のCyber205は性能予測がしやすい、わかりやすいマシンだったとフォローが入ってます。(あ、そうなんだ)
なんかWikipediaにもETA-10の動作速度は液体窒素冷却で7nsって書いてありますが、
実際に扱った人の証言があるなら、ここは書き換えないといけないかもしれませんね。
CPUがそれぞれバラバラに動いていて、OSも全然できてなかったというのはwikipediaにも書いてあり、
最終的にUNIX SystemV Release3ベースのOSが入って、やっと使い物になったとあります。
また、東京工業大学では8プロセッサをバラしてシングルプロセッサで使っていたとか。
物凄いカタログスペックの割に、中身はなかなか香ばしいマシンだったようです。
マキノ氏の談話にある通り、「共有メモリ経由でプロセッサがデータをやりとりできない」設計では、
シングルプロセッサでバラして別々に走らせたほうが「まだマシ」という結果になるのも
当然のような気がしました(笑
これからのPCで主流になると見られるコアを複数作りこんだSMPの場合、
メインメモリが各プロセッサの共有メモリで、ローカルメモリはキャッシュがその役目を担いますが、
ETAのマシンは、以下のような記述があるので、
> ETA10ではプロセッサやI/Oデバイスを光ファイバーで接続していた。
> 1980年代のシステムとしては革新的な技術である。
きっとPCを8台並べてLANのような細い通信経路でつないだような設計だったのでしょう。
ちゃっかり (スコア:1)
ttp://grape.astron.s.u-tokyo.ac.jp/~makino/journal/journal-2007-02.html#17
Re:ちゃっかり (スコア:1)
リンク貼ったその日のうちにチェック入ったんですか!
なんかこっちにリンク貼ってあるし[ひそかに大慌て(汗)]
たいしてスーパーコンピューティングの話なんて書いてないのに
チェック入れてもらったなんて、恥ずかしいやら、申し訳ないやら…。