akiraaniの日記: リスク評価と推進の区別がつかない人たち 3
相変わらず原子力発電関連のトピックは香ばしいコメントが散見されて面白いですが、twitter界隈に比べるとかなりましな部類のようです。
それが端的にわかるのがこの検索結果。普通自分の名前をツイート内で名乗ったりしないので、こうすると池田せんせ当人のツイートは表示されず基本外野が騒いでる(というか名指しで批判する)コメントだけ出てきます。ここ数日ブログの更新が原発以外のエントリが続いたので小康状態ですが、先週はかなりひどい状態でした。
個人的に一番笑ったのは「ブロックされた自慢」ですね。ブロックされた→反論できないからブロックされたに違いない→論破してやったぜ→俺カコイイ!みたいな心理が垣間見えてたいへん滑稽です。個人的には、単にノイズメーカーと判断されただけじゃないかという気がするんですが、まあこの辺は主観の問題もあるんで置いときます。
余談はさておき、「原発推進派を批判」していると主張する方々のコメントに共通するのが、「懸念される電力不足を回避するには現存する原子力発電所を稼働させるのが最も合理的」と言う意見すらイコール「原発推進派」であるという認識。
原子力発電がエネルギー政策上重要なのは主にリスク分散のためで、CO2問題でも原油問題でも原子力発電に依存しろと言ってる人はいない。たとえば、太陽光発電が原子力発電の代替にならない最大の理由もリスクが回避できないことにある。(コスト面でも問題だらけですが……)
手段を複数持ってリスクを分散しておけば、あるリスクが顕在化して一つの手段が使えなくなっても他の手段でフォローすることができる。そうやって最終的なリスクバランスをとることで最悪の事態を防ぐわけだが、そこが理解できない。もしくはリスク評価が全くできていない。山本弘氏のように、将来的には原子力発電をやめるべきと言ってる人ですら放射性物質の評価をしただけで推進派扱いする
ツイッターのような放言したい放題のメディアだとその様子が特に顕著に見えて、原子力発電のリスク比較を行っただけですら「原発推進派のネガキャンだから信用できない」という思考停止理論で叩きツイートをする流れがよく見える。しかも、その過程で批判対象の発言内容がどんどん希薄になっていきソース追跡が困難になっていくというおまけ付き。
デマを真に受けて風評被害を拡大させることになんの罪悪感も持たないというのも問題だが、なによりもリスク評価ができていないことを自認できていないのが致命的すぎる。こういう人たちが作り出す世論にエネルギー行政が左右されるのであれば、それは衆愚政治と言われてもしょうがないんじゃないかと思う。
空気に迎合して客観判断をしなくなる愚かさと、その状態になっているかどうかを自覚する方法について、義務教育でもうちょっとしっかり教えておくべきなんじゃないだろうか。