最終的には「出力デバイスに結びつけられたDRMを採用していない」ところが勝利するのではないでしょうか。
Amazonのkindleを利用しているかたならおわかりになるかと思いますが、
あれは「購入したuser」に結びつけられていて、kindle端末やPCのリーダ、複数のデバイスで自分の買った本を読むことができます。
電車の中ではケータイor5inchクラスのタブレット/電子ペーパーリーダー、
落ち着いて読むにはPCのディスプレイで、
寝る前はベッドの中で10inchクラスのEink系リーダー、等、
人はその生活スタイルの変化するその時々で、それにあった媒体を必要とします。
満員電車の中で新聞を器用に折りたたんで読んでいるひとを見たことはありませんか?
紙媒体は媒体側を変形させることによって、「その時にあったリーダー」の形を作り出すことが可能です。
それと同レベルとまではいきませんが、閲覧機器であるH/Wに強固に結びつけてしまうのであれば
日本が過去に行った楽曲データ販売と同じ道を歩むのでは無いでしょうか。
物理メディアとしてのCDを未だに購入するのも、
自室のAVセット、通勤途中の携帯型再生機器、(私は車は所有していませんが)カーオーディオ、等、
その場その時にあったH/Wを選択して利用できることが重要だからではないでしょうか。
ダビング10が受け入れがたいのも、「対応していない機器は置いてけぼり」なのと
もとの機器で再生させるときに「戻す」(最劣化を含む)という煩雑さが、
「大は小を兼ねる」ではなく「特化したその時点専用」を好む日本人的(?この部分は私の独断思考ですが)な嗜好に
合わないのでは無いかと考えています。
権利者が次の作品を作るための金銭的保護は大事だとは思いますが、
そういう「利用者おいてけぼり」なシステムが前面にでてしまうのであれば
それは過去の失敗を繰り返すだけになるのではないかと、私自身は考えています。