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日記

kondouの日記: 電子工作の歴史 10

日記 by kondou

こんなリンクを見かけた。
http://wired.jp/2014/02/26/agic-sxsw/

その昔、小学生時代。電子工作は、雑誌の折り込みページの実態配線図を見ながらラグ板とタッパー容器で行われた。図書館の資料をコピーする小遣いが無いときは手で書き写した。やがてICが出てきてラグ板ではなく万能基板で配線し、カセットケースに入れるのが格好よかった。

図書館にあったのは『ラジオの製作』という雑誌だったのだが『初歩のラジオ』という雑誌には、感光基板用のマスクが付録していて、サンハヤトの感光基板を露光してエッチングする、ということが行われていた。感光基板があるにしても、エッチングと穴あけは工具が必要だった。特にRFではプリント基板の恩恵は大きい。

その後、電子工作は、暗黒時代に入る。市販品は小型化のためにASIC化、SMD化が勧められていたが自作では ASICもSMDも入手出来なかった。市販品よりも非常に見劣りがするものしか作れず、作る楽しみが無かった。
同時期にパソコンが普及して民族移動があったのも原因だろう。BASICでプログラミングとか、Z80マイコンをラッピング配線とかだ。私は中高生で、パソコンを購入できず、デジタル回路を理解していなかったので、そういった流れからは完全に取り残されていた。

そのうち、大学に入学し、Linux を使うようになって、ネットで遊んでいた。だいたい就職したころだろうか。『トランジスタ技術』で、PICが特集された。書き込み機はプリンタポート、書き込みプロトコルはオープン。パッケージはDIP、ROMはフラッシュISP、と使い始めの敷居を可能な限り下げたもの。
これ以降のマイコンは、PIC の「簡単さ」を標準的に備えるようになった。

そんなこんなで工作活動を復活させたころ『デザインウェーブマガジン』付録に FPGA実装済基板が付録した。これは2つの意味で画期的だった。一つはデバイス実装済基板が付録したこと、もうひとつは、当時アマチュアでは入手困難だったFPGAが付録したこと。付録していた石は Altera の MAX7000Aだったように思う。チップ自体はディスコンで、開発環境の Leonardo もライセンス限定で、半年後にはゴミと化した。しかし、紙面でしか見たことがなかった HDL を体験できたのは非常に大きい。当然、その次の Spartan(たぶんIIぐらい) の付録も買った。ただし、ディスコンの恨みがあるので、そのときから Xilinx 派である。
その後、半年に一度ぐらい、デバイス付き基板が付録するようになった。FPGAは難しかったのだろうか、マイコンが主流だが。
HDLコンテストの懸賞でHDDレコーダをもらって、生まれたばかりの子供に「いないいないばぁ」をヘビロテ再生したものだ。

FPGAでPCIインターフェイスのボードを作ろう、という記事はいくつか見かけたのだが難しすぎる。USB マイコンが一般化するのは、その後の時代のように思う。いろいろあって Arduino につながる。Maker:ブームもある。

パソコンが廃れる運命にあるので、パソコンとUSBでつないで工作、というのも先がない。スマホと繋げる、できればセルフ開発できるようなもの、スマホのハード(センサ、ディスプレイ、近距離無線、インターネットなど)を活用し、それ以外のハードはレゴ化して組み合わせるもの、が良い。そう思って 2014-03のトラ技を買ってみたし、出張ついでに秋葉原で書い揃えてみた。しかし業務多忙と宿題山積、披露蓄積でタイムリーにイジレないのが残念だ。

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  • by Anonymous Coward on 2014年03月01日 15時02分 (#2553883)

    30年以上前の記憶なのでかなり曖昧ですが、マスクはラ製に付いてませんでした?
    初ラってカラーページの実体配線図とかマスクみたいなページってあまり印象に残ってない。

    • 私も曖昧な記憶で書いています。

      親コメント
    • by SanPierre (37035) on 2014年03月01日 22時53分 (#2554123) 日記

      初歩のラジオしか読んだ記憶のない自分が、トレーシングペーパーのマスクを憶えているので、少なくとも付いていた時期はあると思いますよ。

      あ、国立国会図書館 [ndl.go.jp]で確認できました。
      例えば1982年5月号

      《カラー実体図,ポジ感光基板マスク紙付き》
      カセット・ケース・シリーズその6
      キミの運動神経は?決定版!カセット・ピンポン・ゲームの作り方
      阿部直人
      39~46

      親コメント
    • by Anonymous Coward

      記事に基板の実物大マスクパターンが掲載されているので、そいつに文房具店で買ってきた
      トレーシングペーパーを重ねて油性マジックで透けて見えているパターン通りに手書きに書
      き写すと感光基板で使えるみたいな作業では? トレーシングペーパー様の紙でとじ込まれ
      た印刷済のパターンてありましたっけ。 RFはマスキングテープで生基板に手で貼っていく
      のは面積あるから大変なんですが、回路が回路なだけに再現性が格段に向上するだろうとい
      う安心感はずいぶんありそうですね。

      • マスキング直貼りは失敗が多かったですね。
        学生時代は、インクジェットプリンタ+OHPシート+感光基板で工作していました。その後に務めた会社では、パソコンもインクジェットプリンタも無く、UNIX-CADとプロッタで赤ネガをカッティングしていて、カルチャーショックでした。

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  • by Anonymous Coward on 2014年03月01日 16時13分 (#2553914)

    その後、電子工作は、暗黒時代に入る。市販品は小型化のためにASIC化、SMD化が勧められていたが自作では ASICもSMDも入手出来なかった。市販品よりも非常に見劣りがするものしか作れず、作る楽しみが無かった。

    同時期にパソコンが普及して民族移動があったのも原因だろう。BASICでプログラミングとか、Z80マイコンをラッピング配線とかだ。私は中高生で、パソコンを購入できず、デジタル回路を理解していなかったので、そういった流れからは完全に取り残されていた。

    あとPC自作(当時DOS/Vパソコンと呼ばれたもの)が流行りだしたのもダメ押ししましたね。
    その後PICが出てきてボチボチ再開、Digi-Key等のネット系の所が出てきて半導体とか手に入りやすくなったこと、基板付録本で加速し始めた頃、逆にPC自作は廃れ始めて電子工作に復帰する人が増えた感じですね。

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