mkrの日記: もう上映館が減ってネタバレも何も無い気がするのでマイマイ新子の感想を。 1
『マイマイ新子と千年の魔法』はなぜ泣けるのか、についての考察、みたいなもの
この物語は複数の時間で成り立っている。
以下ネタバレなんだがもうまともにみられる上映館も少ないんで、ネタバレ回避より映画の面白さをメモした方がいいか。
1000年前の少女(それも主人公の空想である)と主人公。
この空想を都会からの転校生に分け与える事で友情が深まって行くんだが、相手は
「うーん、見たくてたまらないのに私だけだと(その空想の女の子がどう生きているか)見えないわ」とか言って身悶える。
後半、主人公が現実の情け容赦のなさ、周りの大人も守ってやれない現実に「もう魔法の力(空想の力)なんて嫌だ」と落ち込んでる頃に、
唐突に、友達は空想の少女の生活を見る力を得る。
見るっていうか空想の中に入り込んでるんだけどこれは表現上のもので、「私も見る事が出来た」って一応、言ってる。
得るというより、主人公が失った力を受け取ったと見ていい流れ。
そうして見た過去の少女は、転校生だった自分と同じように新しい場所で新しい友達を作って行く。
新しい世界で新しい友達を作ることが時間を隔てて繰り返される。
こういった力や、祖父と孫、親子、父子、での知識の受け渡し、文化、が連綿と続くことがこの映画の中で執拗に繰り返し現れる。
そりゃあ、1000年前の人も「昔の人はどうだったのだろう」なんて歌を詠んだり、「昔の人の残したものが地面を掘ると出てくるのですよ」なんて言う。
執拗な割に気づきにくいかたちなのが謎。
今ある風景が過去から続いている事も含めて。
普通の映画ならその後の幸せな日常、たぶんその次の日も同じ日々が続く幸せを描いて終わりになる事が多い。
でもこの映画のエピローグでは重要な役回りのおじいさんはあっというまに仏壇の遺影と化し、今度は主人公が都会へと転校して行く。
その頃には都会から来た元・転校生はすっかり地元の子になってて、引っ越しして行く主人公に渡すものは気取ったものではなくたいやきだったりする。
その後どうなってるかの想像をやりにくくなるように、わざとしてます。転校先の生活なんて未知ですな。
もうストーリーとしてはどうかとかでなくて、この映画はそんな断絶の中でも受け継がれて行く連続性がテーマなんです。
さらに、主人公は最後の重要な場面ではっきりと自分の知ることを未来へ伝えること、たとえば子供の遊びを自分の子供に伝えることを宣言する。
これではっきりしてくる。過去と現在のストーリーがつながりが無くても、並走してればいい。
で映画の時代設定として50年前だかの過去なわけですよ。わざわざ過去にしているのか過去になっているのかは不明だけど、そこに続くのは映画を見ている現在。
この三番目の過去が二つの過去と共感共鳴して感動するんではないか。
以下省略
続き (スコア:2)
省略の続き
これから書く事に似たこんな感想があったので心強くなった。
また元の感想へのリンクを見失ったんだけど。
要はこの映画で見た風景や思い出はとても懐かしいんだけど、(その人は)その懐かしさはトトロや映画、小説で得た記憶からの懐かしさで実体験じゃない。
だから懐かしいけど断絶感喪失感を得た、みたいな。
まあ、都会に住んでると行った事もない田舎の風景に懐かしさを感じたりするんだけど、実体験の記憶としてはもってないことを意識も何もしない。
感動よりも先にその喪失感がくる。この映画は。
あらかじめ失っている記憶。そのすばらしさを見せつけ、トトロのように、これはファンタジーだから、という逃げ場もない。
美化しているかどうかも、わからないように普通の大人の風景がところどころ出てきて現実感を強化する。
体験した事もないのに、現実ありそうに見せるんです。それに、かなり取材して小物一つおろそかにしてないのがわかるんですよ。
本棚の本も食べ物も食器も炊事道具もきちんと調べたんではないか。
私にわかるのは本だけだったけれど、子供達が持ってる本はたしかに当時ああ言う子供向けの本があったはずです。
都会向けイメージの子供向け世界の名作全集。子供向け雑誌。
その丁寧さが、ふつうアニメにありえない勢いで実在した事を主張するんです。
古本も、食器だの家具だの炊事道具も存在は知っているし神田古本センターなりで見た事もさわった事もある。
でも現役で存在している時どうだったかは憶えていないか体験してない、それを生活の中で使われているところを見せる。
今どき映画でもうまくは出来てないです。役者と小道具の間に時間差が出来て同時代に見えない。そこをやってしまう。
ストーリーもそれほどトンデモなくない。
二重に流れる過去の物語がからまないのも、いい。二つの時間が絡んだ時点で、主人公の空想じゃなく、映画自体がファンタジーということになる。
ファンタジーっぽい描写はすべて、主人公達の空想として処理され、主人公達がファンタジー空間にいるなんてことは言いにくい。
歳をとるにつれ都会以外ではいろいろありなんだ、と知るにいたりましたが子供時代はどぶ川しか身近にないので、小川で遊ぶ子供なんてどこの世界か、と思っておりました。
もちろんこの映画はそれだけじゃなく子供の人間関係とか、他にだれでも共感できそうなものがあるんですが。
こんなん見せつけていいのか。もはや手に入らない子供時代をからめて。
そりゃあ、とりあえず省略と書いておくしかないです。