nodocumentsの日記: 人でなしの経済理論 (3) 2
たばこのところはよくわからなかった。
他人に絶対迷惑をかけない喫煙者という仮定も、保険に入っているということは、保険金を受け取る場合その金は他人のかけた保険金から出ているわけで。
単に「他人に絶対迷惑をかけない完全知の喫煙者」とだけ定義すればいいのに。
ディティールに妙なリアリティを持たせようとして失敗している例だと思った。
著者本人ではなく編集者が混ぜ込んだ誤謬だと信じたい。
「合理的な中毒者」が禁煙に失敗するかもしれないという仮定は、前提を破壊しているんじゃなかろうか。
「合理的な中毒者」がどうして禁煙しようとしたかは問題じゃない。それは合理的な判断の帰結として定義されるから。
が、合理的に禁煙しようとしたなら、失敗するという不合理は有ってはならないように思う。
もうひとつは、タバコのリスクが明らかで喫煙者の多数はリスクを過大評価しているというにもかかわらず、吸い続ける者もまた多数居ると言うこと。
結局、タバコを吸うことへの便益は具体的にはただひとつ、「楽しんでいる」としか述べられなかった。
だが、リスクを過大評価しながら楽しめるものなのだろうか?
嗜好品なのだから、タバコにどれだけの価値を見いだすかは個人の自由だが、リスクを上回る価値を付けるという価値観はどのように構築されるのだろう。
これはこの本で扱われるテーマではないが、少し気になった。
よくわかってないので、突っ込みもなんか芯を外している感がものすごく強い。
次の章の出だしにある、宴会の負の外部性はわかる。
これは外部にある(個人または社会的合意のある)価値観が負の価値を付けることだ。
例では一方では個人の、一方では社会的合意のある価値観を使っているが、本質的には変わらない。
ページ数だけで言えば薄い本だけど、ゆっくり読む。
もちろん、できる (スコア:1)
それは根本的な間違いがある。「リスクを過大評価」している人は、自分が「リスクを過大評価している」事を知らない。だって、過大評価していると知ったら、その分差し引いて考えるでしょう? それでも過大評価なママかもしれないし、過小評価に陥るかもしれないが、いずれにせよ「リスクは適切に評価している」と 思い込む よね?
「適切な評価」に対して、タバコのメリットがプラスだと評価されればいいだけなので、誰も「リスクを過大評価している」とは思っていないのです。
普通のリスクだと思っているなら、それを上回る価値を見出すのは普通にありえる話ですよね?
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大事なのは「誰はどう思っているか」と「誰かが行っている評価は真値からどれぐらいずれているか」は別の問題だ、という事です。なので、「価値評価」においては、「誰の視点なのか」がものすごく大事だし、その視点から見た場合に「過大評価」とか「過小評価」という事はありえるかどうか、を考察しなくてはいけない。
そして、その上で、「過大/過小評価」ならばそれを「適正な方向に修正した場合に何が起こるか(何かの拍子に真値を発見すると、自動的にこの状態になります)」を考える。
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この本の内容がわかりづらい、と思っている人は大抵この「視点」がずれていると思っていいです。
fjの教祖様
Re:もちろん、できる (スコア:1)
なるほど。「適正なリスク評価」は外部にある価値観なのだから当然のことでした。