ピーターの法則と言うのがある。あれはこう言い換える事ができる。「自分がまだ知らない知識について、必要であることがわかった」と言うことは もう手遅れだ と言うことである。知識は常に 必要かどうか判らなくても学習する 者しか助けない。---必要だと判ってから学習して間に合うなら、ピーターの法則は発生しない。
必要であることがわかるのは段階的 (スコア:1)
必要であることが分かる過程、必要な知識の精度もある程度は段階的でないかと思うのでそこまで極端ではないような気もします。
段階的に分かっても放っておくと結果としてちゃんと対応しない人が多いので社会学的な現象としてはピーターの法則が成り立つよ、というのはなんとなく想像できますが、「必要かどうか判らなくても学習する」ことが必須かどうかは疑わしいと思います。
…というか実際問題としては、「全く必要かどうか判らない」場合は学習対象が発散すると思いますので、実際的ではないと思います。
(各人が各々の自発的な興味にのみ従って学習した結果を組織がうまいこと使えるかというと、リソース配分の関係でそれも簡単ではないでしょうし…。)
ピーターの法則との関連でいえば、地位毎に必要となる知識の必要性を分かりやすくするよう組織的に努力することが必要ということではないかなと思います。つまり個人にのみ任せるのでなく組織的な配慮が必要ということではないかなと。
組織対個人でなく社会全体に関して言えば必要性が分かりにくいジャンルも少人数でいいから研究しておいた方(つまりまだ応用が明らかでないような基礎科学分野にもちゃんと予算を割いておいた方が)がリスク・ヘッジ的にはいいのではないかと思いますが…。
池畑慎之介の法則 (スコア:1)
知識は常に 必要かどうか判らなくても学習する 者しか助けないかもしれないが、
単なる断片的な知識のコレクションは、必ずしも「学習」とは限らない。