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phasonの日記: 導波管を使った量子ウォークの実現 1

日記 by phason

"Quantum Walks of Correlated Photons"
A. Peruzzo et al., Science, 329, 1500-1503 (2010)

古典的な統計における非常に有名なモデル系として,ランダムウォークがある.初期状態としてあるサイトに粒子がいたとして,それがワンステップごとに右か左にランダムに移動していったとき,あるステップ後にはどんな分布になっているのか,というものである.単純に左右に移動する確率が等確率な場合(正規分布へ近づいていく)だけではなく,例えば外場中での熱揺らぎを含んだ運動を表すためにある方向への遷移確率を上げたモデル等の派生系も多い.さらに,様々な系,例えばタンパクの折りたたみであるとか,株価の変動などがランダムウォーク的な数理構造を持つことが明らかとなってきており,ランダムウォーク系の持つ統計的な特徴を援用することでそれら多彩な系の統計的性質が明らかに出来るなど,研究的にもかなりの広がりを見せている.

さて,そのようなランダムウォークの量子版が量子ウォーク(かつては量子ランダムウォークなどとも呼ばれていた)である.古典的なランダムウォークとの違いは,

・各サイトにおいて,粒子は位相項を持つ
・粒子は波動関数的に多サイトに広がるため,いくつものサイトが同時に粒子(の存在確率)の一部を持つ
・これにより,例えばあるサイトに右から遷移してくる成分と,左から遷移してくる成分との間に干渉が起きる.
(右,もしくは左のサイトにしか居ない場合は中心のサイトに移動してくるのに,両方に居ると干渉によって中心には入ってこない,ということも起こる.双方の位相にも依存するが)

なお,この量子ウォークを連続時間に拡張すると,それはある種の波動関数の時間発展と見なせる(各サイトでの振幅と位相=波動関数が連続的に時間発展しているため).

このような量子ウォークにおいては,位相という情報が増える上に,異なるサイトからの遷移が干渉するため,単純な古典的ランダムウォークに比べ解くことが非常に面倒である.離散サイト上に,初期値として一つ,もしくはいくつかの点の上にのみ存在確率とそれぞれの位相を設定(これは1つ,もしくはいくつかの粒子がある位相を持って最初そこにいた,という状態になる),それにひたすらユニタリ変換をかまし続けてそれらの粒子がどのように拡散していくかを見る事になる.
古典的ランダムウォークと大きく異なるのは,古典的なものだと拡散速度が遅く,また存在確率は初期位置が高くなるのに対し,量子ウォークでは(初期位相の取り方によって)片側に急速に広がっていき存在確率が先端で高くなる場合や,両端で存在確率が高くなる場合,中心からあまり動かない局在状態などが出現してくる.

*簡単な説明としては,明大の町田さんのところなどを参照のこと.
http://soulstreet.mind.meiji.ac.jp/WEBMATH/
http://soulstreet.mind.meiji.ac.jp/WEBMATH/QW/document/080422.pdf
また,もうちょっと知りたい場合には今野先生の『量子ウォークの数理』などもどうぞ.

こういった量子ウォークではランダムウォークよりも急速に拡散するため,解の探索などにおいてランダムウォークより遥かに高い効率を示す場合がある.量子コンピュータにおける初期qubitからの時間発展もいわば量子ウォークであり,量子コンピュータの研究が進むと共に量子ウォークを研究する人の数も増えているわけである.

そういった量子ウォークを,計算ではなく現実の系として実現しようという試みも行われている.まあ,前述の通りある意味量子コンピュータの一種でもあるわけで,量子コンピュータで使われている素子とほぼ同じものを使い,ちょっと見方を変えて研究するわけである.しかし,当然ながら量子コンピュータと同じ弱点が生じてくる.具体的に言えば,多ビット化……量子ウォークで言えばサイトの数を増やす,というのが非常に難しいわけである.

今回の論文は,その解決として非常に狭い領域に作り込んだ平行に多数並んだ導波管を使う,というものである.基板表面上に,多数の細い導波管を作り込む.
購読していない人の端末から見られるかどうかわからないが,論文のFigure 2がわかりやすい.

http://www.sciencemag.org/cgi/content/figsonly/329/5998/1500
http://www.sciencemag.org/cgi/content/full/329/5998/1500/F2

画面下方,基板表面の一方の端から3本の入射用導波管が画面上方に向かって伸びており,途中でぎゅっと接近して狭い領域に集まる.その集合した部分には左右両側に無数の別の導波管がこれまた狭い領域に作り込まれており,入射用導波管と平行に画面上方に向け伸びていく.これらの導波管は十分な距離平行に画面上方に向かって伸びた後,ぱっと広がって検出器側に繋がる.形状としては,鉄道の車両基地の線路みたいなものである.

さて,中央付近に入射された光は,導波管を伝って上方に移動していく.途中の集積領域に達すると,隣接する導波管に対し光が微妙に染み出す(隔壁が薄いため).隣の導波管に染み出した光は同様に上方に進むが,これまた左右に染み出す.これはつまり,あるサイトの粒子が,一定比率で隣のサイトに(ある位相差をもって)移動するという量子ウォークそのものである.通常の量子ウォークでは固定されたサイト間を粒子が拡散するのに対し,今回の実験では時間と共に光は上方に移動しながら,左右にふらふらと拡散していく点は違うが,上方に向け光と併走する視点で見てやればあたかも固定されたサイト間で拡散していくようなものであり,数学的には等価となる.
この手法の優れている点は,導波管中の光を使うことで実験をやりやすくすると共に,基板表面に導波管を作り込むという簡便な手法を用いることで非常にサイト数の多い実験系を容易に作り出せる点である.今回の実験では21本の平行導波管を用いているが,百程度までは容易に拡張できるであろう.
またもう一点,複数の導波管に対し同時に入射することで,これまでの実験系よりも容易に多ビットからスタートする量子ウォークが実現できる点も挙げられている.いくつかの任意の導波管に,任意の位相を持たせた光子を導入し,途中の集積域で拡散させれば,異なる位置/位相から出発した光同士の干渉による量子ウォークの変化も容易に検出できる(実際に論文中で実証している).

発想としては単純ではあるが,「ああ,なるほどね」,という感じである.

この議論は賞味期限が切れたので、アーカイブ化されています。 新たにコメントを付けることはできません。
  • by switch720 (30495) on 2010年09月18日 21時32分 (#1827124) 日記

    slashdot本家でも記事になってました。
    Two-Photon Walk a Giant Leap For Quantum Computing (9/16)
    http://hardware.slashdot.org/story/10/09/16/2314217/ [slashdot.org]

    本家記事は「なにをいっているのかさっぱり…」な感じだったのですが、
    非常に分かりやすい解説ありがとうございます
    (といっても門外漢で分からない部分だらけですが)

    ※ Science の Fig.2 はサムネイルだけが見れました。

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あと、僕は馬鹿なことをするのは嫌いですよ (わざとやるとき以外は)。-- Larry Wall

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