まとめ:
情報が流れる経路としての適当なソーシャルグラフがないときはどうやって作るか?
「ソーシャルグラフの自動生成」=いいねや+1した人達をひとつのコミュニティに。
TechWaveで見る情報の流れの変化、社会変化の兆し【湯川】
を読んで、いろいろと考えた。
この記事で筆者の湯川さんは
リアルな人間関係を元にしたネットワークでは「共感、感動をベースにした情報のほうが流れやすい。」
今後はリアルな人間関係に基づくネットワークが増えてくるから、「共感、感動をベースにした情報でなければ、伝播しにくくなる。」
と述べている。
マスコミから一般へという情報の流れが変わり、SNSを流れて広がっていく経路が今後は重要になるという認識については同意する。共感できる情報とそれが流れるリアルな人間関係のSNSについてはちょっと違和感がある。
そもそも、共感や感動がないような情報が広まるはずはない、これはマスコミの時代から変わらないはず。TVのお笑い番組でも視聴者から笑いをとるために製作者は必死になっている。笑いは感動の一つともいえる。ニュースだって、聞いて驚きの感情を共有しようとするものと、解釈できる。受け手にインパクトのない情報は重要視されない。マスコミ経由の情報とネットワーク経由の情報の違いは、マスコミの場合は自分とマスコミの1対1、ネットワークは多数の人と自分。
その記事で例として挙げられている「ソーシャルで「好き」を「仕事」にする方法...」という記事がFacebookでは拡散したのに対して、Twitterではそれほど広まらなかった理由は、私の考えでは、この記事のタイトルがインパクトが弱く、内容をうまく要約しきれていなかったこと、また、内容が特定の人向けだったためではないかと思う。Facebookではその筆者と同業者のソーシャルグラフがまとまっていて、そこを中心にしてひろまったのではないか。そのあたりを確認するためには、ソーシャルグラフのデータを解析する必要があるが、Facebookから簡単には手に入れることできない。
逆に、「約3600円の格安7インチAndroidタブレット...」の記事はタイトルがうまくまとまっていて、読んでイメージし易く、Twitterで拡散し易かったのではないか。湯川さんの分析にあるリアルベースのSNSであるFacebookとそうではないTwitterの違い、という面もあるだろうが、本質は情報が流れ易い経路があるかどうか、だろう。
これをもっと極端に、「犬に噛まれた」と「人が犬を噛んだ」で対比してみると、
「犬に噛まれた」=>共感
「人が犬を噛んだ」=>ニュース
「人が犬を噛んだ」はFacebookやTwitterを含めたネットワークでもマスコミでも流れるだろう。「犬に噛まれた」はFacebookで流れたとしても、一部の知り合いが、「それは痛かっただろう」と共感してくれるだろうが、大規模に拡散することはないだろう。リアルな実名ネットワークでも拡散は無理。もし、犬に噛まれたことのある人たち同士がリンクしたネットワーク、例えば、mixiのコミュニティみたいなものがあったとしたら、その中では広まるだろう。「犬に噛まれた時につける薬」を販売している会社があるとすれば、そのようなネットワークにアクセスする必要がある。
現実のFacebookで、犬に噛まれた人同士がフレンドになって広がるソーシャルグラフができるとは思いにくい。そもそも知り合いに犬が噛まれた人がいる確率は低い。ここまで考えたところで、
ITプラットフォームの変遷とポストFacebook時代を考察する
を思い出した。最後の部分で、筆者の斎藤さんは
「
「Facebookがよりオープンになると、次のステップとしてあるのが「ソーシャルグラフの自動生成」と「セレンディピティの飛躍的効率化」だろう。
」
と述べている。このソーシャルグラフの自動生成というのは、「犬に噛まれた」人たち同士を自動的につなぐことになるような気がする。それにはどうすればよいか。「犬に噛まれた」ことを書いたページやブログに+1やいいねした人たちを集めて、そこにアクセスできる、あるいは、その人たちがお互いに連絡できるようなグラフを生成すればよい。それはある意味簡単そうだけど、どんどんとネットワークができて、自分がそこに入るかどうか、など決定しなければならなくなって、それはそれで面倒そうだし、入ってくる情報もさらに増えてしまう。「犬に噛まれた時につける薬」の広告も入ってくることになる。情報の受け方の技術がさらに重要になってくる。