taro-nishinoの日記: どのようにしてインターネットはルールを確立したのか 2
去る4月7日は、RFCの40回目の誕生日でした。
最初のRFCを書いたと言われるSteve Crocker氏が、ニューヨークタイムズ紙に回顧録を書いておりました。そのタイトルは、ずばりHow the Internet Got Its Rulesです。
一読したところ、痛く感銘したので、以下に私訳を載せておきます。
どのようにしてインターネットはルールを確立したのか
今日はインターネットの歴史の中で、重要な日である。即ち、Request for Commentsとして知られるものの40回目の記念日なのだ。技術的なコミュニティ以外では、多くの人がR.F.C.について知らないが、これらの慎ましやかなドキュメントは、インターネットの内部の仕組みを形成し、インターネットの成功に重要な役割をしている。
R.F.C.が生まれた時は、World Wide Webが無かった。1969年の終わりですら、4つの研究所の4つのコンピュータを繋ぐ、未熟なネットワークがあっただけである。つまり、カリフォルニア大学ロスアンゼルス分校、スターンフォード大学研究所、カリフォルニア大学サンタバーバラ分校、そして、ソルトレークシティのユタ大学である。政府は、ネットワークと、それを使用する百人足らずのコンピュータ科学者に予算をつけた。お互いが知るようになる小さなコミュニティだった。
ネットワークの基礎に多くの審議と計画がなされたが、それについて実際何をやろうとしているのか、誰も授けなかった。それを解決するため、1968年8月、4つの組織から、一握りの大学院生と教職員が自主的に断続的ながら会合を始めた(私は幸いにも、これらの拡大会議に参加したU.C.L.A.の学生の一人だった)。次の春まで、考えを書き始めるべきだという認識は無かった。情報交換のためのネットワークプロトコルについて、間に合わせの、非公式なメモをまとめようと思ったのかも知れない。私は初期のノートを体系付けることを申し出た。
簡単なやっつけ仕事と思っていたものが、神経が疲れるものだと分かった。私達の心積もりは、他人に、口を挟むよう、単に鼓舞するだけのものだった。だが、私は、私達があたかも公的な決定を下すこと、又は権威を表明しているかのように聞こえることを恐れた。心の中で、私は、東海岸の権威の幻影にいる、ある著名な教授の怒りを煽り続けていた。実際に、私はすべてのことに、くよくよと悩み続けていた。結局、2つのコンピュータ間の基礎的な通信を扱う、最初のメモに取り掛かった時は早朝の時間だった。ルームメイトの睡眠を邪魔をしないように、浴室で仕事をしなければならなかった。
ずうずうしく聞こえるのを恐れて、そのノートにRequest for Commentsとラベルを貼った。40年前の今日に書かれたR.F.C. 1は、多くの未回答な疑問を残し、すぐに廃止された。が、R.F.C.そのものは根付き、成長した。インターネットプロトコル標準を表明する通常の手続きとなったし、今日5,000通を超えており、それらはすべてオンラインで用意されている。
しかし、私達は、電子メールを持つ以前もしくはネットワークが実際に働く以前でさえ、これらのノートを書き始めたのであった。それで、将来的見解を紙に書き、それを郵便配達で周辺に送った。各研究グループにつき一部づつしか送っていないので、それらのグループは自分でコピーを焼かなければならなかった。
R.F.C.は早くも、大局的な見解から退屈な詳細(後者は、すぐに最も共通になったけれども)まで多様に及んだ。それらの最初のドキュメントの内容と比べて重要でないことには、それらが無料で利用可能であり、誰もが書けることだった。権威ベースの決定に代わり、私達が言うところの「緩やかな合意と、規定の実行」プロセスに、依存していた。誰の提案も歓迎され、その提案が十分な人に好まれ、使用されるならば、その提案は標準となった。
結局、すべての人は、同様な方法で同様な仕事をすることに、現実的な意味があると理解したのだ。例えば、私達があるファイルを一つのマシンから別のマシンに移動させたいとしよう。貴方が一つの方法を案出し、私がそれとは別の方法を案出したとする。そして、両者と対話したい誰もが、同じ事をするのに二つの違う方法を採用しなければならないだろう。それで、そのような厄介を避けるべく起こる、もっともらしい圧力が多くあった。その当時、特許、その他の制限をしなかったことも手伝ったのかも知れないが、プロトコルをコントロールするために何の報酬も無かったので、合意に達するのはずっと簡単だった。
これは、技術的設計における公開性の極例であった。その公開性プロセスの文化は、インターネットを育成し、その持っている壮大な発展を可能にする必須のものであった。実際に、それ無くして、WEBはないだろう。CERNの物理学者達が、人々が得ることが出来、且つ、それに追加出来る方法で、多くの情報を公開したかった時、彼らは単にアイデアを組立て、テストしただけであった。私達がR.F.C.でやった土台によって、彼らは許可を得る必要性、又は、インターネットの中核の何らかの変更も必要ではなかった。他の人はすぐに、それらをコピーした。つまり、何十万のコンピュータ・ユーザ、そして、それが何億となり、コンテンツとテクノロジーを共有、作成をした。それがWEBなのだ。
言い換えれば、私達はいつも、新しいプロトコルを、それの持つ正当性と、他者が使用可能な構成要素の両方に役立つような設計に努めた。プロトコルを最終製品として考えていないし、故意に、他の人の足がかりが容易になるように内部設計をさらけ出している。これは、古き電話回線が、何らかの付加又は許可の無い使用を著しく萎えさせるような姿勢だったことに対して、正反対であった。
勿論、アイデアの公開と標準選考のプロセスは両方とも、結果的にはより形式ばったものになった。私達のいい加減な、名も無き会合が大きくなって、Network Working Groupと呼ばれるものに半ば組織化された。それ以降40年間、そのグループは発展し、幾度か変革して、現在、Internet Engineering Task Forceとなっている。いくらかの階層と正式手続きがあるが、それ程ではなく、何人に対しても、自由で開放されている。
R.F.C.も成長した。多くの審査の後で公開されるので、もうコメントのリクエストではない。しかし、初期に建てられた文化は、そうであったかも知れないと推測されるより以上に、公開性を保つ強い役割を担っている。仲間によって拒否された多くのアイデアを経て、アイデアは受領され、その長所の面を整えられるのである。
経済再建をしている折に、私は、公開性の重要性を、特に殆んどそれを持たない産業界において、心に留めておくことを希望する。保険医療の再建であれ、又はエネルギー革新であれ、最大の見返りは、直接的に経済刺激策からではなく、人々に見てもらえる、広い将来的展望からもたらされるのである。
15年前にインドのバンガロールに初めて旅した時、私はR.F.C.の力と持続性を思い出させた。インド科学研究所で話をするために招待されたのだが、その訪問の一環として、真に複雑なソフトウェアシステムを構築した一人の学生を紹介された。感銘を受けたので、彼にどこでそれ程のことを学んだのか訊ねた。彼は単に「R.F.C.をダウンロードし、読んだ」と言った。
重箱の隅ですが (スコア:0)
翻訳ありがとうございます。数点気になったところを。
but no one had given a lot of thought to what we would actually do with it.
ここは、基礎となる技術について盛んに研究されてたのだけれど、それを使って何をしようかというところがほとんど議論されていなかったという流れです。だからそれを考えるためのミーティングが始まったわけですね。
Still fearful of sounding presumptuous, I labeled the note a “Request for Comments.”
これは逆で、おこがましく聞こえるのを恐れたために"request for comments"と名づけたということです。
although the latter quickly became the most common.
"latter"を"later"と読み違えてるようです。大きなヴィジョンも退屈な詳細もあったけれど、すぐに後者がほとんどになったということです。
anyone could write one.
誰もが(新しいRFCを)書ける、ということですね。「書き込める」というのがちょっとわかりづらいと思ったので。
keeping things more open than they might have been.
このhaveは「持つ」ではなくて完了形の助動詞です。ここは仮定法で、RFCが無かった場合に我々が得ていたであろう何かにくらべてよりオープンになっているということを言っています。
Re:重箱の隅ですが (スコア:2)
ご指摘ありがとうございました。慌てて翻訳したので、見落としがありました。
but no one had given a lot of thought to what we would actually do with it.
ここは、基礎となる技術について盛んに研究されてたのだけれど、それを使って何をしようかというところがほとんど議論されていなかったという流れです。だからそれを考えるためのミーティングが始まったわけですね。
そうですね。ここの文脈は、もう少し丁寧に、「ネットワークの基礎に多くの審議と計画がなされたが、それについて実際何をやろうとしているのか、誰も授けなかった。」に修正しました。
Still fearful of sounding presumptuous, I labeled the note a “Request for Comments.”
これは逆で、おこがましく聞こえるのを恐れたために"request for comments"と名づけたということです。
そうです、完全に見落としです。「ずうずうしく聞こえるのを恐れて」に修正しました。
although the latter quickly became the most common.
"latter"を"later"と読み違えてるようです。大きなヴィジョンも退屈な詳細もあったけれど、すぐに後者がほとんどになったということです。
これも見落としです。ここの文脈は「R.F.C.は早くも、大局的な見解から退屈な詳細(後者は、すぐに最も共通になったけれども)まで多様に及んだ。」に修正しました。
anyone could write one.
誰もが(新しいRFCを)書ける、ということですね。「書き込める」というのがちょっとわかりづらいと思ったので。
「書ける」にしました。
keeping things more open than they might have been.
このhaveは「持つ」ではなくて完了形の助動詞です。ここは仮定法で、RFCが無かった場合に我々が得ていたであろう何かにくらべてよりオープンになっているということを言っています。
これは、私と見解が違います。貴殿は仮定法過去完了であると主張していますが、私は、(現在から見た)過去の推量であると考えました。
紛らわしいので、ここの文脈は「しかし、初期に建てられた文化は、そうであったかも知れないと推測されるより以上に、公開性を保つ強い役割を担っている。」に修正しました。