tmkzrの日記: 超光速ニュートリノの結果に誤り?GPSとマスタークロックとの光ケーブルの緩みが原因か
昨年9月に発表された、長基線ニュートリノ振動実験OPERAによる 「超光速」ニュートリノの実験結果に、誤りがあるかもしれないということが 明らかになった( 時事通信、 Science insider、 Nature news blog)。
tmkzrの日記: 放射線関係話題
南相馬 市民の内部被ばく検診「ホールボディカウンター(WBC)による」の結果
医療ガバナンス学会 Vol.410 WBCの検査結果をふまえて
Junko Nakanishi's HP 雑感579-2012.2.22「福島のコメ問題」
米は福島で作っても売れないだろな。 確かに全袋検査はや
コメント: Re:現世の影がネット世界だったのに、ネットが現実世界の太陽になっちゃうの? (スコア 1) 28
まず、ネット実名制移行の点。 おっしゃるように、これまで影の世界だったネットに現実の太陽の部分が 流れ込んでいるというのはそのとおりでしょうし、その流れは今後も続くでしょう。 しかし、それでネットの影の部分が無くなるかというとそれは違う気がします。 それはなぜかというと、おっしゃるとおりネットで発言している人間自体が 太陽と影の2つの部分を持ち合わせた矛盾した存在だからです。 だから、ネット実名制が広まっても、匿名で活動できる部分は残り続けると私は思います。 よって、「ネット人格」というべきものが全く失われてしまうという心配は、私には無いように思われます。
次に、ネットで無理な仮面をかぶり続けることによる「ネット人格」の「リアル人格」への侵食について。 現実の自分とは矛盾する形でしかネット上に人格を形成できなかったのだと したら、まずそれ自体が問題でしょう。 それは、現実の自分と理想の自分にギャップがあるということを示しているのでしょうが、 問題は、ギャップがあること自身ではなくて、 ギャップを埋める手段が「仮想人格の形成」であるということではないか。 ネットではそれが簡単にできると思われているのでしょうし、 顔を見せたり、実名を名乗る必要のない言論空間では実際に容易に可能でしょう。 しかし、そのような非常に任意性の強い選択こそが、 その人の個性を表すと私は考えますし、 その選択にその人自身は縛られると思いますね。 「そんなアカウントは抹消すればいいのだ」と思うかも知れませんが、 アカウント自体は抹消できても、アカウントを抹消するという選択をした自分を 消すことは出来ません。 その記憶は、そのアカウントで表現したという記憶とともに自分の中に残り続けるでしょう。
先程も言いましたが、ペルソナを選び、被った時点で、もうその仮面は顔の一部なのです。 ですから、私には「元の自分」などを論じるのはナンセンスに見える。 人間は社会とつながりをもち、教育を受け、本を読み、他人と話し、そして誰かを愛し愛される。 そういった人間として当たり前の営みをしていれば、 「私」という存在がそういったつながりあるいは流れのなかにあると自覚できれば、 「元の自分」などというものを論じるのがナンセンスと分かる、と思います。 多数の仮面を統合する自分が存在するのは確かですが、それはやはり仮面とともにあると私は考えます。
そして、ここまですべて括弧書きで論じてきましたが、「ネット人格」と「リアル人格」を 分けて論じること自体、私は違和感があります。 私はネットでの表現も社会とのつながりの一つだと思います。 それは、ネット上での発言を根拠にして恐喝や威力業務妨害の罪に問われることでも 明らかであると思われます。 それがネットであれネット以外であれ、 自由な発言にはそれなりの責任が伴うのです。例え匿名であってもです。 その意味ではネットも(あるいはHPでも) その人間が多数持っているペルソナの一つのチャンネルでしょう。 だから私には、「ネット人格」として区別する理由があまりよく理解できないのです。 それこそ我々が個性と呼ぶものであり、人格と呼ぶものではないのか。 「ネット人格」が「リアル人格」を侵食しているとしたら、 それはその「ネット人格」を作った時点ですでに侵食されているのです。 なぜならその人格を作ったのは自分自身であり、もしリアルと矛盾があるならば、 その矛盾を知っているのもまた自分だからです。 他人がその矛盾を知っているかいないかなど、些細な問題です。
重大な問題は、理想と現実にギャップがある自分自身とどう向き合ったかということです。 もちろん、その問題と向き合わず、回避するからこそ ネットでの振る舞いが「リアル人格」と分裂的になるのでしょう。 そうであったら、やはり問題の根源は、ネットが実名制かどうかなどということではなく、 個々人のこころの中にあるとしか思えない。 そのような分裂的な人間は、 ネットが実名制だろうが匿名制だろうがリアルな関係だろうが分裂的に振る舞うのではないか。 反対に自分の矛盾と向き合い、自分の人生を自分なりに納得できている人間は、 そもそもネットが匿名だろうがなんだろうが分裂的に振る舞うことはないのではないか。 そういう考えです。
最後に他人をまねる、演じるということについて。
それではまるで物まねのロボットにも思えますし、他人の思考や言動を真似ても他人の人生は歩めません。
確かに真似をしてもいいとも言いましたが、 誰かロールモデルとなるような偉い人間の真似をするということは、 究極的にはその人の真似をするということではなくなるはずです。 そのような他人のあこがれとなるような人間は必ず独自のものを持っています。 つまりその人は、誰かの真似をしていたから偉いのではなく、 自分独自の境地を開いているから偉いはずなのです。 だから、真似をしようとしたら、自分でも独自のものを持たなければならない。 それはその偉い人なり師匠なりを否定することですらあります。 臨済宗の開祖である臨済の言葉に次のようなものがあります(殺仏殺祖とも言われます)。
仏に逢うては仏を殺せ。祖に逢うては祖を殺せ。羅漢に逢うては羅漢を殺せ。 父母に逢うては父母を殺せ。親眷に逢うては親眷殺せ。始めて解脱を得ん。
解釈はいろいろあるかも知れませんが、私は模範となるべき師を 乗り越えることこそが重要であると解釈しています。
演じるのが嘘をつくわけではないとしても、それは自然ではなく、真でもないと私は思います。
私は社会と関わりを持っている以上、 人間が真に自然であるということはありえないと思います。 そして演じている役自体は真ではないかもしれないが、 その役を演じている人間自体は真であると思います。
コメント: Re:現世の影がネット世界だったのに、ネットが現実世界の太陽になっちゃうの? (スコア 4, すばらしい洞察) 28
ネット上で理想の自分を演じている自分も、 現実にいるキーボードを打っている自分であるわけで、 ネット上の自分が現実世界の自分に何の影響も及ぼさないと 考えるほうが、私には違和感があります。 少しでもよく見てもらいたい、その感情自体はよくわかりますが、 そう思っているのは紛れも無く現実の自分ではないですか。
ペルソナはpersonalityの語源だそうです。 演じ続ける、とおっしゃいますが、 例えば家庭では威厳ある父親を演じ、会社では従順なる部下を演じ、 同窓会ではひょうきんなおどけ役を演じる、それは 極めて普通の事ではないでしょうか。
私が言いたいのは、ペルソナこそがその人の個性であり、 どのようなペルソナを持ち、どのようなペルソナを選んできたかということこそが その人をよく表すということです。 そして、もう分かると思いますが、ペルソナを外した真の顔なるものは、 ペルソナを選び、ペルソナを被った時点でもう存在しないのです。
「できた人物」「いいひと」を演じる、おおいに結構じゃないですか。 自分のあこがれの人、ロールモデルとなるような人の真似をするのはむしろ推奨されることですよ。 ただ、嘘はまずい。周りは騙せても自分は騙せないから、結局は破綻してしまう。 もし、「できた人物を演じる」=「嘘をつく」と考えているならば、それは違うと思いますね。 「あの人ならばどう考えるだろうか」と自分で必死で考え、 自分で答えをだせれば、それはもう自分の思考になっているはずです。 そしてそれはもう自分の個性の一部ですよ。
コメント: Re:ガンマ線で車か... (スコア 4, 参考になる) 30
tmkzrの日記: 腕時計購入
腕時計を無くしてしまったようなので、仕方ないから新しいのを購入。近所のホームセンターでカシオのクォーツデジタル1480円のやつだが。F -105W-1A, この値段で全面発光。かっけー。こうやって買うと古いのがでてくるんだよな。
tmkzrの日記: 自転車の鍵が凍る
最近朝が寒いせいか、朝チャリのワイヤー錠を開けようとすると凍っていて全然開かない。
仕方ないから鍵をライターで炙って熱してから鍵穴に突っ込むを数回から10回ぐらい繰り返してやっと鍵が開く。
このようなことはこれまでなかったはずなので、今年特有の原因があるような気がするのだが、思いつかない。ワイヤー錠は霜で凍っているようなので、寒さが和らげば自動で解決するとは思うが。油をくれてやったほうがいいのだろうが、油が切れていた。100均で自転車用油が売っていたはずなので、みておこう。
コメント: Re:御用学者…… (スコア 4, すばらしい洞察) 49
オフトピになるのかも知れませんが、 福島の内部被曝調査は京都大学、小泉教授によるものがあるので参考として示しておきます。 まず、福島で食材を買ってその放射能を測り、年間の被曝量を計算しているのが、 以下の論文です。
Koizumi, A et al., Preliminary assessment of ecological exposure of adult residents in Fukushima Prefecture to radioactive cesium through ingestion and inhalation, Environ Health Prev Med (2011)、 (日本語)
また、今年朝日新聞で報道された同じく小泉教授による調査があります。
これは、福島県の家庭で食べられている食事にどの程度放射性セシウムが含まれるか測定したもので、 福島県では一日の食事で4ベクレル (関東では0.35ベクレル)ほどの放射性セシウムが含まれるという結果です。 これは年間の被曝線量に直すと23μSvであり、 国が定めた基準(年間被曝1mSv)の1/40に相当します。
ここから先は私の考察です。 23μSvでのガン死確率の上昇は、ICRPの1Svあたり5%上昇 という基準で考えると、年間当たり0.00012%上昇です。 この値をそのまま信用するわけでもないですが、 あっけないほど低い確率であると個人的には思います。 と同時に、福島県福島市、郡山市、二本松市などでは多い所で 年間10mSv程度の外部被曝が見込まれ、 つまり外部被曝が内部被曝を500倍ほど上回っており、 より深刻なのは外部被曝であるということになると思われます。
ただし付記しておきますが、少量のセシウム137による内部被曝でも 影響が出ると主張しているのが、話題になった東大児玉教授です。 以下の文章では膀胱がんが増える可能性を指摘しています。
チェルノブイリ膀胱炎―長期のセシウム137低線量被曝の危険性(PDF)
単純に考えればセシウムの挙動は同じアルカリ金属元素であるカリウムと似ると考えられ、 よって摂取したセシウムは体内の内蔵、筋肉に拡散されると思われるし、 手元の教科書(日本放射線技術学会監修「放射線生物学」)にもそう書いてあります。 よってヨウ素131とは違い、セシウムによる局所的ながん発生は認めがたいのですが、 私自身の生理学、病理学の知識が追いついておらずなんとも言えない部分はあります。
コメント: Re:つぶれたか (スコア 1) 20
なるほど。印刷機部門で先に変革を迫られていたから フィルム部門でも変革を起こすのは容易だったということですかね。
しかし、素人の私の考えだと、コダックは自社でデジタルカメラを開発し、 変革への意思はあったように見えるし、先行者としてのアドバンテージで、 今のニコンやキヤノンのような位置にいてもおかしくはなかったのではないか、 と思えてしまう。 実際2002年にコダックはプロ用のデジタル一眼レフカメラを発表していますが (参考: いよいよ到来した35mmフルサイズ1,000万画素超時代) 、当時としては最高クラスの性能で、しかも安かった。 あのまま順調に進んでいれば、富士フィルムのように多角化しなくても 立派に業態転換可能だったと思えてしまうのです。 印刷機部門があったとかそのようなことが本当に本質的な問題だったのでしょうか。
やはりカメラを作るというのは単にセンサーを作るということとは違う ことなんだろうとは思いますが、それを言えばカメラメーカーだってこれまでは レンズとその周辺を作っていたのが、今度はフィルムに相当する部分まで 作ることをやっているわけですからね。