[ アカウントをゲット! ]
人名用漢字の新字旧字のネタを探すべく、琉球政府公報をチェックしていたところ、1957年2月22日付で『人名用漢字表』が告示されているのを見つけた。
○告示第三十五号
「当用漢字表」(一九五二年告示㐧六十三号「文書作成規程」㐧五条)に掲げる漢字以外に人名に用いてさしつかえない漢字を次の表とおり定める。
一九五七年二月二十二日 行政主席 當間 重剛人名用漢字表
丑丞乃之也互玄亦亨亮仙伊匡卯只吾呂哉嘉圭奈宏寅尚巌己庄弘弥彦悌敦昌晃晋智暢朋杉桂桐楠橘欣欽毅浩淳熊爾猪玲琢瑞甚睦磨磯祐禄禎稔穰𦁪忽聰肇胤艶蔦藤蘭虎喋輔辰郁酉錦鎌靖須馨駒鯉鯛鶴鹿麿斉龍亀
うーむ、何か本土の『人名用漢字別表』(昭和26年5月25日内閣告示第1号)と違う。「穰」「聰」はまだいいとしても、「𦁪」「喋」はかなりまずいんじゃないだろうか。「玄」「己」も気持ち悪いし。ただこれ、「琉球現行法規総覧」(第一法規)でもほぼそのままコピーされてたので、あるいは本当に運用されてたのかもしれない。だとすると「𦁪」を名に持つ人が、今も沖縄にいるのだろうか?
『キーボード配列 QWERTYの謎』(NTT出版、2008年3月)の読者から、どうしてUNIVAC Iのテンキーは逆順なのか、という質問をいただいた。図114「『UNIVAC I』のコンソールのキー配列」(p.164)にある、以下のテンキー配列のことだ。
0
1
2
3
4
5
6
7
8
9
別にこれは、逆順というわけじゃない。IBMカードパンチのテンキー配列が、「ズレ」も含めてこういうデザインだったので、UNIVAC Iもそれをマネたというだけのことだ。IBMカードパンチのテンキー配列が、どうしてこうなっていたかについては、U.S.Patent No.682197を読めばわかる通り、ホレリスカードが上から順に0~9となっていたことに由来する。
ちなみに、コンピュータのテンキーが、なぜ、カードパンチ型を捨てて電卓型になったかだが、LA36 DECwriter IIやHazeltine 2000の登場以前に、やはりFriden Add-Punchの存在がかなり大きいと思う。ただ、このあたり、1960年代のコンピュータ端末の事情を、もうちょっと調べてみる必要があるかな。
小形さんのとこ経由で、昨日の漢字小委員会の資料のコピーをいただいた。ざっと、目を通してみたのだが、資料2の『意見募集で寄せられた「意見の概要」』の以下の部分が、かなり気になった。
4 字体(67件)
○情報機器との関係で「叱・填・剥・頬」の許容について考慮すべき
○デザイン差として加える字について考慮すべき
○試案の字体に賛成
○追加される字種の字体をこれまでの字体と統一すべきである
この『情報機器との関係で「叱・填・剥・頬」の許容について考慮すべき』というのは、たぶん私(安岡孝一)の意見を含んでいると思うのだが、だとすると、「機器」というのを強調されるのは微妙にマズイ。というのも、現実の問題は「機器」で起こるのではなく、その間の「やりとり」において起こるからだ。
たとえば、文化庁ホームページの文字コードで示した例において、「𠮟」(口へんに七)をマトモに検索できるようにしようとすると、ユーザのブラウザ、文化庁ホームページ、e-Govの3つを4バイトUTF-8対応した上で、それらの間の「やりとり」も4バイトUTF-8化しなければならない。つまり、「機器」(↑では「ユーザのブラウザ」と「e-Gov」)をいくら4バイトUTF-8化したところで、その間の「やりとり」が4バイトUTF-8化できなければ、どうにもならないのだ。
ただ、漢字小委員会がここまで理解できるかどうかは疑問だし、そもそも文部科学大臣の諮問に「情報機器」という語が踊っているので、それに配慮せざるを得ない、ということなのだろう。うーむ、次回の漢字小委員会、さてどうなるやら。
今朝の読売新聞(大阪版だと第20458号)に、『豊かな日本語めざし拡充を』と題する社説が掲載されていた。
一般の社会生活での漢字使用の目安となる常用漢字表の改定に向けて、文化審議会国語分科会漢字小委員会の検討作業が大詰めを迎えている。
パソコンや携帯電話などの情報機器のキーを押せば、難しい漢字も簡単に表示できる時代だ。インターネット上などで、常用漢字表に入っていない漢字を目にする機会は増えている。
今回の見直しは、パソコンなどの情報機器の普及を踏まえ、常用漢字を大幅に増やしていくことを狙ったものだ。
使える漢字を増やすことで、日本語表現もより多様で豊かなものになるにちがいない。
広く国民の意見を聞いて、現代社会に見合った新常用漢字表の制定を目指していくべきだろう。
「広く国民の意見を聞いて」ってのはわかりやすいスローガンなのだけど、だったらなぜ読売新聞は、この社説をパブリックコメントの最中に掲載しなかったのだろう。それに、「文化審議会」でも「文化審議会国語分科会」でもなく、ワーキンググループの「文化審議会国語分科会漢字小委員会」をあえて検討主体として名指ししてるし。明日の漢字小委員会を狙って、この社説を掲載したのかしら?
ただ、読売新聞の言う「豊かな日本語」とやらは、私(安岡孝一)にはどうも理解できない。というのも、読売新聞は常用漢字表の審議に際し、昭和49年11月12日(東京版だと第35283号)の社説『美しく豊かな日本語のために』で、以下のように述べていたからだ。
こう考えると、次期以降の審議会で進められる漢字表の審議は、さらに慎重にしてほしい。経過報告からうかがえる基調は、当用漢字の増加のように受け取られるが、安易に漢字を増やすことはしてはならない。
まあ、35年以上が過ぎて、読売新聞も「豊かな日本語」に対する考えが変わった、ということなのだろうか。
『国語施策百年の歩み』(文化庁、2003年3月)を読んでいたところ、pp.8-34の「〈座談会〉戦後国語施策の出発 ―昭和二十年代を振り返る―」(2002年9月3日、大田区産業プラザ会議室)の中で、林大の以下の発言に出くわした。
それで再検討して千八百五十字の当用漢字表ができた。その原案ができつつあったころに私は国語課に入ったんですけれども、その漢字表については、パージ逃れじゃないけれども、私は関係ございません。
当時の会議資料を読む限りでも、林大が「当用漢字表」(1946年11月5日国語審議会答申)の審議にかかわった形跡はない。代わりに活躍が目立つのは、当時、文部省教科書局国語調査室の嘱託だった三宅武郎だ。「拡」「圧」「脳」などの簡易字体は、三宅武郎が「常用漢字に関する主査委員会」で提案したものだし、氏名等を平易にする法律試案を提出したのも三宅武郎だ。少なくとも林大の名は、表面には出てこない。
一方、「当用漢字字体表」(1948年6月1日国語審議会答申)に関しては、林大も審議に参加したようである。ただし、内閣告示として官報に掲載された「当用漢字字体表」(1949年4月28日)については、林大は↑の座談会で
これは僕が書いたんじゃなくて、印刷局の人が書いてくれたんです。
と答えており、どうやら印刷局の方で準備されたものらしい。でも「印刷局の人」って、さて、いったい誰なんだろう?
『コンピュータ端末の元祖になった電信機「テレタイプ」』(電子情報通信学会誌, Vol.93, No.1 (2010年1月), pp.12-16)の読者から、ベル電話研究所の「Model I」(1940年1月稼動)に接続されたテレタイプ端末はQWERTY配列だったのか、というご質問をいただいた。結論から言えば、QWERTY配列ではない。
「Model I」に接続されたテレタイプ端末は、Ernest Galen Andrewsの論文『Telephone Switching and the Early Bell Laboratories Computers』(Bell System Technical Journal, Vol.XLII, No.2 (1963年3月), pp.341-353)のFigure 1で見る限り、上下2段の20キーで、キー配列は
= M D + - +i -i E C T
0 1 2 3 4 5 6 7 8 9
となっていた。シフトキーはない。これらのキーは複素数の四則演算に特化されていて、たとえば「(-7+22i)÷(4+5i)」を計算する場合は
「D」「+」「4」「+i」「5」「-」「7」「+i」「2」「2」「=」
と入力すれば、除算結果がプリントアウトされる仕組みだった。最初に「M」を押すと乗算、「C」を押すと加算がおこなわれる。「T」はテストを意味し、通信が正常なら「Model I」の状態によってピリオド6つか「YYYYYY」がプリントアウトされる。「E」はリセットキーである。
ちなみに、「Model I」ことComplex Computerの設計に関してはU. S. Patent No.2668661に、端末の設計についてはU. S. Patent No.2434681に、それぞれかなり詳細に記述されている。興味のある方は、↑の論文と共に熟読されたい。
人名用漢字の新字旧字のネタを拾うべく、1990年前後の新聞記事をあさっていたら、別のネタを拾いあげてしまった。外山滋比古の『名言の内側』シリーズの一つで、日本経済新聞1988年11月27日(第37041号)p.32に載っていたネタだ。
四十になったら自分の顔に責任を持て
一般にはアメリカのリンカーン大統領のことばとされているが、どこにもたしかな証拠がない。どうやら伝説のようだ。
その代わりというのもおかしいが、「人間五十になったら自分の顔に責任がある」(A man of fifty is responsible for his face)と言った人がいる。
エドウィン・M・スタントンというアメリカ人で、ちょっとした政治家、法律家だった。それだけではない。リンカーン大統領から陸軍大臣に任命された人物だから、この場合、偶然にしては話ができすぎている。スタントン五十一歳のときのことばであるから、一般論というよりも、自戒あるいは自負の気持ちをあらわしたとする方が自然であろう。
しかし、スタントンは、いまとなってはいわば無名の人といってよい。リンカーンの名声が巻きおこす伝説化のうずに吸い込まれて、リンカーンの言とされたものと想像される。五十歳であったのが四十歳に引き下げられたのも愛嬌で、四十にして責任ありとする方が迫力があるのはたしかだ。
私(安岡孝一)が唐沢俊一のガセネタを指摘する20年も前に、既にこのガセネタは日本経済新聞紙上で指摘されていたわけだ。20年前だと、『Recollections of President Lincoln and His Administration』(Harper, 1891年)をチェックするのも、そうたやすくはなかっただろうに、外山滋比古すごいなぁ。
ちなみに、唐沢俊一の「トリビア名誉教授 唐沢俊一のビジネス課外授業。」は、リンカーンのガセネタを最後に『pronto pronto?』での連載を終了している。その後、ガセネタを訂正したという話は聞かない。ガセネタを毎号バラマキまくって(1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15)、訂正もせずにほったらかすくらいなら、最初から唐沢俊一になど連載させなきゃいいのに。
石井威望の『企業と情報』(筑摩書房、1970年3月)を読んでいたところ、p.73の「表1・1 モールスの原符号」に妙なことが書かれているのを見つけた。
表1・1 モールスの原符号
E ― 12,000
T ――― 9,000
A ― ――― 8,000
I ― ― 8,000
N ――― ― 8,000
O ― ― 8,000
S ― ― ― 8,000
H ― ― ― ― 6,400
R ― ― ― 6,200
D ――― ― ― 4,400
L ――――――― 4,000
U ― ― ――― 3,400
C ― ― ― 3,000
M ――― ――― 3,000
F ― ――― ― 2,500
W ― ――― ――― 2,000
Y ― ― ― ― 2,000
G ――― ――― ― 1,700
P ― ― ― ― ― 1,700
B ――― ― ― ― 1,600
V ― ― ― ――― 1,200
K ――― ― ――― 800
Q ― ― ――― ― 500
J ― ― ― ― 400
X ― ――― ― ― 400
Z ― ― ― ― 200
注:(印刷所でしらべたタイプの量との関係が示してある.)
「モールスの原符号」という表題にもかかわらず、示されている符号は、オリジナルのモールス符号(U. S. Patent No.1647)とは全く異なっている。ざっと見た感じでは、共同研究者のAlfred Vailが考案した「アメリカンモールス符号」に似ているが、Vailのモールス符号では「・ ・・・」は「&」に割り当てられており、「J」は「-・-・」なので、やはりどうも違うようだ。また、『The American Electro Magnetic Telegraph』(Philadelphia: Leo & Blanchard, 1845年)のp.168によれば、Vailが印刷所の活字箱を調査した結果は、Eが120、Tが90、Aが85、IとNとOとSがそれぞれ80、Hが64、Rが62、Dが44、Lが40、Uが34、CとMが30、Fが25、WとYが20、GとPが17、Bが16、Vが12、Kが8、Qが5、JとXが4、Zが2、という比率だったはずなので、↑の「タイプの量」は「A」が8,500でないと比率が合わない。
ちなみに、e:t:a=120:90:85という活字の比率は、John Johnsonの『Typographia, or the Printers' Instructor』(London: Hurst Rees Orme Brown & Green, 1824年)のVol.II p.30や、Charles Carroll Bombaughの『Gleanings from the Harvest-Fields of Literature, Science and Art』(Baltimore: T. Newton Kurtz, 1860年)のp.15にも現れる比率なので、当時の英語圏の印刷所では一般的だった可能性が高い。ただ、Philip Lacombeの『The History and Art of Printing』(London: J. Johnson, 1771年)のp.245や、Irving E. Fangの「It isn't ETAION SHRDLU, It's ETAONI RSHDLC」(Journalism Quarterly, Vol.43, No.4, 1966年冬, pp.761-762)では、また別の比率が示されていることから、あるいは19世紀の英語圏に限定した方がいいのかもしれない。
昨日のTEPOREメールマガジン「テポーレ悠遊ナビ」に、以下のガセネタが流れたらしい、という連絡があった。
アルファベットのキー配列は、そもそもタイプライターに由来するようです。初期のタイプライターは両手の人さし指1本で打つことが多かったようですが、キーを打つタイピング技術が進み、両手の指すべてを使ってすばやくタイプするようになっていったことから、より効率よく文字をつづることができるようなアルファベットの配列が模索されてきたのだとか。
その結果、アルファベット26文字を現在のように並べたキー配列が考案されたそうです。1880年代の初めにアメリカで発売されたタイプライターでは、すでに現在とほぼ同じアルファベットのキー配列が採用され、20世紀初頭には、ほとんどのタイプライターがこの配列になっていたといわれています。
このアルファベットのキー配列のことを、「QWERTY(クワーティ)配列」と呼びます。これは、アルファベットキーの最上段が、左からQ・W・E・R・T・Yのキー配列になっていることから名付けられました。諸説ありますが、一説では、アルファベットキーの最上段だけを使って「typewriter(タイプライター)」とつづれることから、タイプライターのセールスマンが、すばやく簡単に文字が打てることをアピールするために考え出された配列ともいわれているそうですよ。
『キーボード配列QWERTYの謎』(NTT出版、2008年3月)にも書いたが、「両手の指すべてを使ってすばやくタイプする」技術は、QWERTY配列より後に登場したものだ。その意味では↑の文章は、時間の順序がまったくムチャクチャで、ガセネタにもほどがある。また、「タイプライターのセールスマン」に関しては、当時のタイプライター・セールスの実態を全く調べずに書いているようにすら思える。「一説では」と書きさえすれば、どんなガセネタをバラまいてもいい、と考えているのだろうか。
ただ、私(安岡孝一)自身は、東京電力のメールマガジンなど購読していないので、こういうメールが本当に流れたのかどうか、ウラを取りようがない。バックナンバーも公開されてないようだし、うーん、どうしたらいいんだろ…。
『キーボード配列 QWERTYの謎』の読者から、U. S. Patent No.389854に関する質問があった。Enoch Dye ProutyとOlive S. Hynesが1886年に発明したというフロントストライク式タイプライターで、「Daugherty Visible」より4年以上先行しているのだが、実はProutyのフロントストライク式タイプライターは実用化されていない。このあたりの話は結構ややこしくて、『キーボード配列 QWERTYの謎』に盛り込むことができなかったので、ここに記しておこうと思う。
EnochとOliveがWisconsin州Beloitで知り合ったのは1882年頃で、EnochがBeloitのバプテスト教会に牧師として着任してきたのが、出会いのきっかけらしい。Oliveは1881年4月に夫との離婚が成立していた(The Janesville Daily Gazette, Vol.25, No.45 (1881年4月30日), p.4, l.3)が、Enochには妻子がいた。まあ、19世紀の当時としても、道ならぬ恋だったわけで、その結果、Enochは1885年10月にバプテスト教会を除名されている(The Janesville Daily Gazette, Vol.29, No.195 (1885年10月21日), p.4, l.2)。その後、二人は手に手を取ってChicagoへと移り住み、その間にフロントストライク式タイプライターの特許を出願している。また、Enochの離婚が成立し、1887年11月にはOliveは晴れてOlive S. Proutyとなっていた(The Chicago Tribune, Vol.47, [1887年11月18日], p.8, l.4)。ただ、そういう状況だったために、Proutyのフロントストライク式タイプライターは現実には一台も生産されることがなく、結果的に「Daugherty Visible」に先を越されることになった。
なお、幻となったフロントストライク式タイプライターとは別に、EnochとOliveはインデックス式タイプライターを生産していたらしい、という噂がある。U. S. Patent No.10995というかなり古い特許をもとにしたもののようだが、残念ながらこれが事実なのかどうか、5年ほど調べ続けたにもかかわらず、全くウラが取れない。まあ今後も、謎は謎のまま残るのだろう。
このページのすべての商標と著作権はそれぞれの所有者が有します。
コメントやユーザ日記に関しては投稿者が有します。
のこりのものは、© 2001-2010 OSDN です。