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yasuokaの日記: 一次史料と二次史料の間で 1

日記 by yasuoka

二次史料のみに基づく「歴史」の読者から「じゃあ安岡孝一は一次史料を適切に扱えるのか」との反論をいただいた。まあ、正直なところ私としては、まだまだ自信がない。たとえば、1872年6月9日付のこの手紙(の写し)を例にして、ちょっと考えてみよう。

この手紙から、ざっと私が読みとってしまうのは、1872年6月9日は日曜日なのに、SholesとGliddenとDensmoreは行動を共にしている、という点だ。あるいは、どうやらSholesはEmmettの「機械」を良く思っていないらしく、それをBarronに伝えている点だ。そう言いながらも、この手紙を打ったタイプライターは真鍮製の止めリングがイマイチで、「U」の代わりに「_」(見た目はハイフンではなくアンダーライン)が打たれてしまっている。だとすると、このタイプライターでは、「U」の活字棒と「_」の活字棒が隣り合っていた可能性が高い。

ただし、これら全てを鵜呑みにするのは、かなり危険だ。まずは、手紙そのものが偽物である可能性を疑う必要がある。そこで、二次史料の出番となるわけだ。実は、この手紙は『The Story of the Typewriter 1873-1923』(Herkimer County Historical Society, 1923年)のp.51にコピーが掲載されていて、当時はRemington Historical Collectionにあったらしい。現在は、手紙のコピー(というより写真)は、Wisconsin Historical SocietyやHagley Museum and Libraryなどにあるものの、現物は私の知る限り行方不明。そうなると、この手紙を信用するかどうか、ということは、↑の本をどの程度信用するか、という問題になる。

ならば、この手紙に出てくる人物と、↑の本の関係を考えてみる。手紙の送り主は、まあChristopher Latham Sholes (1819-1890)で、受取主はWalter Jay Barron (1846-1918)だろう。手紙に登場する人物は、Carlos Glidden (1834-1877)、James Densmore (1820-1889)、Emmett Densmore (1837-1911)あたりだ。一方、↑の本の著者はAlan Campbell Reiley (1869-1947)とされているが、これは本そのものには記されていない。ただ、Reileyであれば、1923年にRemington Typewriterにいたし、Barronとも親交があったらしいので、一応の辻褄は合う。

というような感じで、楽しく一次史料と二次史料の間を行き来するのが、歴史研究の醍醐味だったりする。二次史料を盲信するのはバカのやることだが、かと言って一次史料を絶対視するわけにもいかない。でもWikipediaの「ショールズ・アンド・グリデン・タイプライター」の出典に、『The Story of the Typewriter 1873-1923』が含まれてなかったところを見ると、この二次史料を誰も信頼しなかったということなのかな。

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日々是ハック也 -- あるハードコアバイナリアン

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