パスワードを忘れた? アカウント作成
8011082 journal
日記

yasuokaの日記: 鍋島藩における和文モールス符号

日記 by yasuoka

昨日の武雄市長物語

確かにこの「主婦」のおっしゃる通りで、武雄市には、もう蘭学館は不要だと思います。同様に、武雄市には、もう武雄鍋島文庫は不要なので、他機関に移管すべきでしょう。

とコメントしたところ、なぜ武雄鍋島文庫にそうまで粘着するのか、という趣旨の御叱正をいただいた。私(安岡孝一)が「粘着」しているとすれば、それは武雄鍋島文庫だけではなく、いわゆる「大」鍋島文庫全体だと思う。

『文字符号の歴史 欧米と日本編』(共立出版、平成18年2月)の図1には、「日本初の和文モールス符号」というキャプションを打ってある。実は、この図を『江戸』大正7年12月号で発見した際に、私が最も気にしたのは、これが本当に「日本初の和文モールス符号」なのかどうかだった。この和文モールス符号は、安政2年7月2日(1855年8月14日)の浜御殿での実験で、小田又蔵と勝海舟が使ったものだから、もちろん、かなり初期のものであるのは間違いない。ただ、これ以前に、和文モールス符号が日本国内になかったのかどうかは、私自身、証明の難しい事柄だった。

可能性があるとすれば、嘉永~安政年間だと、一つは鍋島藩であり、中村奇輔を含む精錬方に関わる文書は、絶対にチェックしておく必要がある。これが、私が「大」鍋島文庫に関わることになった発端で、実はこの時、まだエポカル武雄はなかったように思う。まあ、その後、鍋島文庫の漢籍の一部を、うちの全国漢籍データベースに入力させていただいたりして、何となく御縁が続いているうちに、いきなり昨年11月、武雄鍋島文庫が閲覧禁止となってしまったわけだ。しかも、それまでの閲覧場所だった蘭学館(武雄市歴史資料館)は、もはや復旧の見込みはないらしい。

たぶん、私のような研究者は、ごくごく少数派で、このブログに登場する「主婦」のように、「暗い蘭学館」など不要だと思っている武雄市民が大多数なのだろう。そもそも、武雄鍋島文庫の閲覧申請などしたことがないのだろうし、文書保護のために暗くしていることなど考えも及ばないのだろう。それならば武雄市には、どう考えても武雄鍋島文庫など不要なのだから、さっさと佐賀県立図書館なり佐賀大学なりに移管すべきだと思う。

この議論は、yasuoka (21275)によって ログインユーザだけとして作成されたが、今となっては 新たにコメントを付けることはできません。
typodupeerror

※ただしPHPを除く -- あるAdmin

読み込み中...