Account-mochi Cowardの日記: 聖下と尊師の何処に差がついたか 1
日記 by
Account-mochi Coward
聖下はとりあえず外面だけは良くしておくだけの強かさを持っていたけど、尊師にはそれがなかった。
性格の悪さを隠さないのが正直さであり美徳と思ってそうなスラドの多数派には尊師の方が魅力的に写るのかな。
聖下はとりあえず外面だけは良くしておくだけの強かさを持っていたけど、尊師にはそれがなかった。
性格の悪さを隠さないのが正直さであり美徳と思ってそうなスラドの多数派には尊師の方が魅力的に写るのかな。
目玉の数さえ十分あれば、どんなバグも深刻ではない -- Eric Raymond
尊大にならずに親切であり続けるのは難しい (スコア:1)
言い得て妙、というか、少なくともボクにとってはひどく耳に痛い表現にきこえます。
しかしそれでも、ホスピタリティあふれる人への敬意は忘れないように気をつけているつもりです。
ただ、「大衆」とか「庶民」、あるいは「エンドユーザ」(この場合、アップルやマイクロソフトのユーザ)などという括りで人を見ようするうちに、たとえば、自分自身でそれこそ「尊師」だと自覚してしまうように、自尊心が肥大化して手がつけられなくなるかも知れないので、辛くても嫌われようと努めなければならない場面もあるんじゃないかと思います。自分自身のためにも。
自分のホスピタリティに溺れる、酔い痴れることのないよう自制するのは結構困難だと思うのです。それゆえ、そういう、ホスピタリティにあふれる人たちを褒めることでもやはり「溺れる」危険がある(表彰をする人間は表彰される人間よりも偉ぶる、というような意味で)ので、またより難しいものなんだと思います。
ただ、これは、コンピュータの利用に強い思い入れがある、つまり、コンピュータの利用が知的活動と強く結びついている人達以外には独り相撲にしか見えないでしょうね。