Torisugariの日記: 九州電力と田代まさしのセキュリティホール 7
今年、玄海原発の稼動再開の可否を巡って社会的なトラブルがありました。知らなかった、あるいは忘れてしまった、という人はWikipediaの記事をどうぞ;「九州電力やらせメール事件」。
この問題は、九電社長の進退や佐賀県知事の関与、第三者委員会の立ち回りなど、なかなか複雑な様相を呈しています。あるいは、曖昧模糊としたままで決着が図られるのかもしれません。ただ、私は、仮に、経営陣や政治家たちが全て辞職したとしても、まだ割り切れない部分が残ると思います。すなわち「やらせメール」そのものの倫理的な是非です。
話はガラリと変わりますが、米国のTIME誌が年度の表紙を飾る人物をインターネット上で募集した時に、「田代まさし」さんが1位になった、という件をご存知でしょうか?あるいは、ポケットモンスターの人気投票で「レアコイル」が2位になったり、イナズマイレブンの人気投票で「五条勝」が1位になったという話でも結構です。
雑誌社やアニメの放送者は、本来、彼らの好きなようにコンテンツを作り、また、作られたコンテンツについての責任を被ります。ここまでは良しとしましょう。しかし、「読者や視聴者の意見を反映させる」という手法をとると、とたんに話がややこしくなります。「発信者が作成して、受信者が消費する」という形ではなく、「『投票者』が作成して、発信者が中継し、受信者が消費する」という形になるからです。
ここでいう「投票者」は「発信者」側の想定では「受信者」と同一であって、その仮定が正しい限りにおいて大きな問題にはなりません。しかし、実際の結果を眺めてみると、「投票者」と「受信者」は同一ではありません。投票の母集団は偏っており、その結果が「田代まさし」「レアコイル」「五条勝」なのです。ひとつ注意を喚起しておきたいのは、この結果は偏ってはいても、必ずしも「不正」と見做すことはできない(まあ、「田代まさし」に関しては微妙ですが)という点です。想定通りではないが、不正でもない、そういう現象なのです。
発信者はコンテンツに飢えています。新聞にはその黎明期から投書欄がありますし、深夜ラジオが電話やFAXで音楽曲のリクエストを募集するのも同じ理由です。その延長線上に「ケータイ大喜利」なんかがあって、さらにその先に「原発再開について、視聴者のメール紹介」があるのです。
放送者と視聴者の関係を一つのシステムになぞらえるなら、「九州電力やらせメール事件」は次に挙げた2つの要因からなる不具合です。
- 視聴者は放送者を信用するあまり、放送内容が妥当なものだと思い込まされてしまう。
- 放送者ではない第三者が放送内容を操作できてしまう。
九州電力は、このセキュリティホールを突いて、「自らの意見」を「妥当な意見」へと特権昇格させました(*I)。九州電力やそれに関わった人々が何らかの責任を取らなければならない、という点には、私も同意します。しかし、これは「不正」だったのですか?罰則を与えるとして、その根拠は誰が示すのでしょうか?巨大な利益が絡む以上、一罰百戒はありえません。経営陣や政治家の首とは比べ物にならない額の金銭の問題だからです。この種の企業努力が、念仏のようにコンプライアンスを唱えることによって解決された例もありません。
再発防止を謳うのなら、2.の穴を塞ぐべきではないでしょうか?
近年、いろいろな放送局、とりわけNHKが「視聴者のご意見」を熱心に紹介するのを見て、不安な気持ちになります。特に、番組中に意見をファックスやメール、あるいはテレゴングのようなリアルタイム性の高い手段で募集して、終了前に放送するタイプが最も危険です。コメントを選ぶスタッフや読み上げるアナウンサー達は、十分な教育が施されているはずですし、その点に不満はありませんが、彼らとて専門外の分野もあるでしょうから、限られた時間の中では、つい、うっかりと、という事態は十分に考えられます。
明日にも、ワイドショーのアナウンサーが、「他多数からいただきました」と前置きして、「砂糖水で希釈したら、病気が治りました」とか、「納豆を食べて○Kg痩せました」とか、「水に『ありがとう』と言ったら、…」といった偏った意見を公共の電波で流すかもしれない、そういう時代に我々は生きているわけです。科学知識のように、白黒をはっきりつけやすい話題ならまだマシですが、政治問題になると、放送者や視聴者が十分注意していても防ぐことはできません(*II)。それを証明したのが九州電力であり、その意義は大きい、と私は考えます。
*I.
ちなみに、1.の穴を予め塞いであるある人、すなわち「マスコミの言うことは1から10まで信用できない」という社会不適合系の妄想癖がある視聴者には通じなかったはずです。
*II.
「やらせメール」は内部告発が元で発覚しましたが、逆に言うと、金銭をケチらずに職業的にこの種のマーケティングを行っている人々に頼んでいたら、今でも真相は闇の中だった、ということです。