unnoの日記: addiction - AC
共依存(きょういぞん)について、調べていたときにACがあったので、スラドに書き込んでおく。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%B1%E4%BE%9D%E5%AD%98
http://www.google.co.jp/search?q=%E5%85%B1%E4%BE%9D%E5%AD%98&sourceid=navclient-ff&ie=UTF-8
何らかの依存症患者Aとその依存状態を支えてしまう関係性になった者Bとの関係及び状態のこと。Bの人間のことを言う。
①共依存とは
http://www.geocities.jp/pachimaya/kyouizon.html
共依存を一言でいえば、「他者に必要とされることで、自分の存在意義を見い出すこと」となる。共依存の特徴をよく表現している文章を以下に引用する。
共依存者とは、自己自身に対する過小評価のために、他者に認められることによってしか満足を得られず、そのために他者の好意を得ようとして自己犠牲的な献身を強迫的に行なう傾向のある人のことであり、またその献身は結局のところ、他者の好意を(ひいては他者自身を)コントロールしようという動機に結び付いているために、結果としてその行動が自己中心的、策略的なものになり、しだいにその他者との関係性から離脱できなくなるのである。(加藤篤志)
つまり、自分の内面が空虚で他者の評価を必要とするだけでなく、他者の評価を獲得するために他者を道具として利用する人たちのことをいう。一般的傾向としては、他人の世話を焼きたがる割には、他人に対して不誠実で策謀的な点があげられる。
②共依存とは、
http://trauma.or.tv/1kouisho/6.html
人間関係そのものに依存するというアディクション(嗜癖・依存症)です。
共依存の人は、自分自身を大切にしたり自分自身の問題に向き合うよりも、身近な他人(配偶者、親族、恋人、友人)の問題ばかりに気を向けてその問題の後始末に夢中になります。身近な人の取らなかった責任を一生懸命代わりにとり、結果、現在の困った状況を身近な他人本人が決意して解決する必要を与えず、困った状況をそのまま続けるはめになる……あるいはますます困った状況に陥っていく人達のことです。
身近な他人は大きな問題 アルコール依存症やギャンブル依存症、非行や暴力、買い物中毒、仕事中毒、絶えない人間関係のトラブルなどを抱えているため、共依存症の人の「共依存」という問題がクローズ・アップされることは滅多にありません。
けれども、そういった見た目に派手な依存症や問題を抱えている人達の側にかならずといっていいほどいると言われています。共依存の人達が問題の後始末を一生懸命してくれるので、「困った人達本人」は「困った状況」が「なんだかんだ言ってもなんとかなる」と無意識で感じています。このため問題を解決せずにほったらかしにし、悪化させます。この現象を指して共依存者のことを「依存症の支え手(イネイブラー)」と呼ぶこともあります。
ここで誤解しないでいただきたいのは、身近な誰かが何かの依存症にはまっているのは、その本人に問題があるからです。問題のない人は、依存症にはまりません。共依存症者と他の依存症者が一緒にいると、2人とも依存症がエスカレートしやすくなりますが、共依存症者が側にいなくても、他の依存症者は依存症にハマっています。「私が共依存症だから、相手がパチンコ依存症なんじゃないか」というのはハッキリと間違いです。
共依存症者が側にいなければ、他の依存症者のエスカレートはゆるやかになるケースが多いと言われています。それと同じように、他の依存症者が側にいなければ、共依存症者のエスカレートもゆるやかになります。
立場は同等であり、とちらにも同じように問題があります。どちらが悪いという話しではないことをご理解下さい。
日本女性はとくに「我慢して尽くすこと」が美徳だとされているので、共依存者が多いといわれています。ある程度までは「人間関係の潤滑油」ですが、共依存症者にとってその人生は他人の後始末、後始末、後始末……他人の責任の代行ばかりで自分のための人生を生きることができません。自分自身の人生もみじめですし、周囲もみじめなままになってしまいます。
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