akiraaniの日記: デジタルな著作権(ネタ)
優れた著作物を作成することで著作者は利益を得るという仕組みができることで、著作者はより優れた著作物の作成に努力するようになり、文化が発展する。そういう目的で設置されている。
この著作権法であるが、CDによるデジタル技術、さらにここ10年のインターネット環境の整備に伴って著作者、著作物を取り巻く環境が大きく変化し、それにともなって著作権法自体も大きな変革を求められている。
Winnyを作成した47氏も、その目的の一つに現状の著作権法への問題提起という意味合いがあったという旨の発言を行っている。氏の意図はともかく現実問題として、地上波デジタル放送関連のごたごた、私的録音補償金にまつわる一連の騒動、など著作権制度の不備からくる問題がここ数年で噴出してきている。なぜ旧来の著作権法だとだめなのか、昔と今で何が変わったのか、正確な現状を踏まえたうえで今後どうあるべきかを根本から考え直す時期に来ていると言えよう。
まず問題になるのはデジタル複製にまつわるあれこれ。デジタルデータは複製が容易でだれでも完全な複製物を作成することが出来る。そのため、個人が所有するデジタル著作物を0に近いコストで無限に複製し無限に利用することが可能となる。複製コストがあまりにも低いために、利用者が購入した著作物をコピーして著作者になんら利益を還元することなく融通することが出来る。そのために著作者の利益が圧迫される。というのが、現状の著作権法におけるデジタルコピーの問題点である。
この問題に対するアプローチとしてはコピーできないように制限してしまおうという考え方が主流だ。しかし、デジタルデータのコピーガードは技術的な問題点を数多く内包している。わかりやすい例ではCCCD問題がある。
- CCCD問題とは
本来、オーディオCDはレッドブックという規格に従えば読み出せるようになっており、この規格にはコピーガードのための仕組みはなく、読み出したデータをそのまま記録すれば簡単にコピーできてしまう。日本で一時期発売されていたCCCDは、それを克服するために、ほとんどの再生機器には読み出しエラーの補完機能があるのを利用し、わざとレッドブックに反する意図的に壊れたデータを記録することでコンピュータ上での読込を阻害するようにした。
この仕組みは一部のオーディオ機器での再生を阻害するという副作用があり、さらに通常のオーディオ機器にも負担をかけ音質の劣化、最悪の場合はオーディオ機器の故障を誘発してしまうというリスクがある。もちろん、そのリスクはすべて消費者が一方的に負うこととなり、レコード会社はそれにたいして一切の保障をしなかった。
結局のところ、デジタルデータが0と1の信号の集合体である以上、必ずコピーできてしまうのだ。そもそも読み出されたデータは一旦CPUのメモリ領域にコピーされなければ処理を行うことが出来ない。つまり、完全なコピーガードというのはデジタルという仕組みの上では不可能なのだ。
CPUのメモリ領域上に読み込こまれたデータをさして複製物とはだれも言わない、にもかかわらず別のメディアにコピーすると複製物といわれてしまう。デジタルデータという観点から見れば両者に違いはないのもかかわらず、だ。仮に、揮発メモリ上であればコピーといわない、ということであればプレーヤーに揮発メモリを採用してメモリ専用に燃料電池でも搭載して数ヶ月持つようにしてやればコピーしたい放題ということになってしまう。
そもそも、データの複製を著作物の使用と扱うからおかしなことになるのである。消費者はなぜ著作物に対してお金を払うのかといえば、著作物を使用(視聴)するためであり、視聴の過程で複製物が発生してしまうかどうかなんてのはまったく関係がない。
消費者は著作物を利用することに対して著作者に対価を支払い、著作者はそれを糧として著作物を制作し文化の発展に寄与する。これが著作権法の理念であることは最初に述べたが、そのためには消費者が何を持って著作物を利用したという基準を設定しなければならない。今まではメディアの所持がそれに該当したが、デジタルデータにおいてそのような扱いはふさわしくない。デジタルデータに関してはもっと細かいレベルで著作物の使用を定義/記録し、それに合わせて著作権法を再構築するのが真のデジタル著作権ではないだろうか。
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