akiraaniの日記: 真似をすることの是非 1
いわゆるパクリ論争なんかに発展すると「真似をするのはよくないことだ」というイメージになりがちだが、何かの真似ではない創作物というのは厳密には存在し得ない。
例えば、倒置法という表現技術がある。倒置法という技術自体は昔々の誰かが確立したもので、その技術を使うことはその誰かの真似になる。突き詰めてしまえば「技術」と言うものの大半は真似でできているといっても良い。物事を習うということは、手本を真似することに終始する。
真似がよくないと思っている人は、これを真似だと思っていない。そして、ほとんどの場合真似とそうでないものを分ける線引きは非常に主観的で曖昧だ。
パクリはよろしくないというのは、それはそれで確かな話。ただし、パクリなのかオマージュなのかの線引きは非常に曖昧で、ほとんどの場合作り手ではなく受け手の感性で決められてしまう。真似したつもりがなくとも結果として似てしまったら受け手はそれはパクリだと評価する。真似をしたかどうかという事実は関係ない。つまり極論すれば、ぱくったかどうかというのは結果がすべてなのである。
最もわかりやすい例で言えば、新世紀エヴァンゲリオンが良い例だろう。エヴァンゲリオンという作品はさまざまな種類のエンターテイメントから優れた要素を真似して寄せ集めている。実際のところ露骨なまでに真似の集大成でできているにもかかわらず、大多数の受け手はそのオリジナリティを評価し作品に価値を感じている。
真似をすることは悪いことではなく、必要なことなのだ。ただ、同じ真似にも上手い下手があり、下手な真似方をするのがよくないのである。真似る技術が向上すれば、その分作り出すものもすばらしいものになっていくだろう。
そして、上手く真似るためには、真似る練習をすればいい。つまり結論すれば、積極的に真剣に真似るべきなのである。
ふむふむ (スコア:1)
その通り!
まずは原稿用紙に書写からだ!(ぇー
真面目な話、書写からやって書いているうちにコツを掴んだ人は案外多いのですよね。
初めから自分の言葉で書いてもいいけれど、それを削って磨いてって、見てくれる人がいればいいけれど、独学ではかなり大変だったりします。
見てくれる人といっても、仲良しクラブじゃ当然ダメなわけで。
#最近、褒め殺しの恐怖を味わっているのでID
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溶解する妖怪