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火星

akiraaniの日記: デジタル時代の先にある著作権 1

日記 by akiraani

 L.Entis氏の日記を読んで思いついた、SF的な妄想の入り混じった与太です。

 「無限の猿定理」という用語がある。猿がランダムにタイプライターをたたいて文章を作るという作業を無限に繰り返せば、シェークスピアの作品と同じ文章ができあがる、というやつだ。
 この無限の猿定理をソフトウェア的に応用すれば、まったく新しい著作物を作ることもできるのではないだろうか。仕組みとしてはこんな感じ

  1. 著作物の規則性を解析して、ランダムに類似品を作りだすエンジンを作る
  2. 著作物の面白さを評価する機械評価アルゴリズムを統計的手法で作る
  3. 1のエンジンで多数の作品を作りまくり、機械評価の高いものだけをフィルタリングして残す
  4. フィルタリングして残された著作物を人間が人海戦術で評価し、面白いものは世間にリリース
  5. 人間の評価結果が一定以上たまればその結果をフィードバックして2の評価アルゴリズムを改良し、3に戻る

考え方としては、ランダム生成した作品でも評価する仕組みを統計的手法で作って評価の高いものだけを残していけば、ある程度の確率でちゃんとした作品が含まれるようになるはず、という感じ。ランダム生成そのものは難しくないし、CPUのパワーにものを言わせれば無限に近い回数トライさせることも可能。あとは面白いものを機械的に抽出することさえできるようになれば、無限の猿定理は実現可能なのだ。
デジタルコンテンツの機械的価値評価はUGMの流行以来行われているはずの研究分野だし、人口無能や自動作曲ツールなどは既に存在するわけだから、ジャンルによってはそう遠くない将来に実用化されてもまったくおかしくはない。
まあ、一流のクリエーターが作るレベルとまではいかなくても、作品として見れるレベルのものを一定確率で発生させることくらいはそんなに遠くない未来に可能になるのではないだろうか。

さて、そこで問題になるのが、そうやって作られた作品の著作権はどうなるのか、ということである。
今現在の日本の著作権法では、著作物とは「思想又は感情を創作的に表現したものであって、文芸、学術、美術又は音楽の範囲に属するもの」という定義になっている。上記のアルゴリズムで作られた作品には思想又は感情が込められることがないので、法を条文どおりに解釈すれば著作物には該当しないということになる。

が、作り手が不在でも受け手が作品に価値を認めてしまったとしたら問題は一気にややこしくなる。
著作物の価値とは創作性に対して絶対的に発生するものではなく、受け手がどのような価値を感じるかで相対的に発生する。そして、著作権法で解決される問題の大半は金銭的利益にからむので、この受け手の価値で作品の著作権的な扱いも変わる。
しかし、前述したとおり、条文解釈上は著作物ではないので著作権などは発生しない。著作権がないのに価値だけが存在する、そのような作品が溢れかえれば、市場そのものが大きく混乱することになる。
実態は粗製乱造に近いものになるだろう。なにしろ、制作プロセスが完全に自動化されるわけだから、いったんシステムを導入してしまえばゼロに近いコストで無限に作品を生み出すことができてしまう。できた作品を人間がアレンジしてクオリティアップさせて一次著作物として発表するなどといった手法が出てくることも考えられ、ものすごい数の作品が安価にかつ爆発的に作られていくに違いない。
それらの(ある意味安易な)作品が増えた結果、悪貨が良貨を駆逐するという状況になり、大御所だったりカルト的なファンがいたりといった例外を除いた大多数のプロクリエーターは大打撃を受けることになる。

おそらく、これらの変化は技術がある一点までたどり着いた段階で一気に発生するだろう。2007年の初音ミクブームがそうだったように、技術上の様々な障壁を一つずつ取り除いて最後に残った壁を打破された直後に、それまでに蓄積されたものが解放されて一気に広がっていくに違いない。
急激な変化は反発も生む。その過程で、自動作成ツールを忌避する動きも一部のクリエーターの中に生まれ、デジタル的な打ちこわし運動に発展する可能性もある。一方で、ツールを活用して作品を精力的に作り出す人々も増えていくので商業流通に乗らない場所で作品を作り続けることはだれにも止められない。
ある程度の期間が過ぎて混乱が収まれば、自動作品生成ツール自体が道具と認知されるようになり、労力と価値に見合った権利を獲得(もしくは権利はく奪)されることだろう。ただ、その形がどこで落ち着くのかは権利団体のロビー活動の結果で変わってくる。
既存メディアの関連団体がいつまで権力を維持していられるかが鍵になるが、対応が遅れれば遅れるほど経済基盤とともに権力を失っていくことは確実なので、結果としてはiPod課金問題のように調整が長引いた揚句、変化についていけず権利団体としての基盤そのものが大幅に弱体化していくことになるのではないかという気がする。

その後、著作権法がどのような形になっているのかというと、もっと受け手の認める価値を基準にした形に落ち着いていくのではないだろうか。
現在の著作権法は著作物の価値にかかわらず権利が自動的に発生するようになっている。これは、著作物が著作物と誰でも判断可能であるからこそ運用できる仕組みであり、著作物ではない作品が大量に生み出されるようになるとその運用は極めて難しくなる。まともに運用するためには、著作物の定義を大きく見直す必要があり、その中に受け手の価値基準が多少なりとも含められることになるだろう。
著作権法の最終目的は文化の発展だが、受け手の存在なくしては文化は作られない。にもかかわらず、著作権法において受け手は著作者が完全にコントロールできることを前提にしている。これは現在の著作権法が抱えている多くの歪みの根本であり、著作者不在の作品はそのことを社会に認識させるきっかけになるのではないだろうか。

追記:
星新一レベルのショートショートを人工知能で生成できるか
ここで付いたコメントがこの日記の内容と似たような話ばかりでちょっとびっくりした。

この議論は賞味期限が切れたので、アーカイブ化されています。 新たにコメントを付けることはできません。
  • 原稿著作権法上のスキームとしては、それは「環境音の録音」と同じになるんじゃないかな。
    環境音は明らかに著作物ではないけれど、それを録音したものは著作物足りえる。
    なぜなら、それを固定すること、どの部分を固定するかなどに取捨選択が働く限り、それには人間の意図が働き、そこに創作性が見いだせるからだ。
    同様の理屈は写真などにおいても存在している。

    つまり、それを観測し何らかの手段で固定した段階で、それを固定することを決めた人の著作物になる。
    それが複数人であれば共同著作であるに過ぎない。ということになると思う。

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192.168.0.1は、私が使っている IPアドレスですので勝手に使わないでください --- ある通りすがり

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